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帰る場所、出て行く場所 アジサイの広場
眠雨うき高2

 現在、万人の共有できる価値観というものは崩壊したと言っていいだろう。受験という数少ない事例もあるにはあるが、それは十代後半のごく一
時期に限られ、かつて人々が共有した、例えば経済成長といった価値観の持つエネルギーには比べるべくもない。結果、あちらこちらに存在する「 人それぞれ」の価値観の中で、人々は己の存在位置を見失いかけている。その対策、現代社会からの逃げ場として価値観が共有される小集団、サー クルが形作られているわけだが、この仕組みは若干の問題を孕んでいる。すなわち、居心地のいい小集団の中にいることによって、外部との接点を 持とうとしなくなる現象、所謂オタク集団化を生むのである。  

 このような構造が作られるに至った第一の原因として、近代社会の神経質なまでの平等主義・自由主義が挙げられるだろう。宗教の自由、言論の
自由、出版の自由、交わされる意見に優劣はなく、倫理は別種の倫理によって規制され得る。誰も彼もが正しさを持つ。ある小学校では、運動会の 騎馬戦が会議の末に中止になったという。下の騎馬になる子供が上の子供に対しての劣等を象徴しかねないということだという。現代日本の平等主 義は論理としては正しさを持つにしても若干行き過ぎの感があるが、法律関係で仕切りにこの問題が取り沙汰されたために、人々は自然平等に神経 質にならざるを得なくなった。結果、社会の価値観は崩壊し、無数の価値観が乱立するようになったのではないだろうか。  

 第二の原因として、小集団の持つ性質というものがある。参加する人数が少ないために、自然その集団の中の話題は際限なく専門化・濃密化し、
他との隔たりをますます広げていく。問題はその他との異質さが、自身の位置がわかりづらくなった現在では、優越性にも錯覚されてしまうという ことである。得意げに専門用語を並べ立てられ、こんなことも知らないのかという態度をとられてまで交流を続けていたいという人間はいないだろ う。そして小集団はますます孤立していく。異質さは個性であるかもしれないが、そこに魅力はない。魅力ある個性とは、他流に身をたぐえながら  

 確かに自身なくして人は存在し得ないし、指標なしに自身を確立し得るほどに人は強くはない。だがごく小規模の価値観の中で自己を見出しそれ
に満足するようでは、殻の中の蝸牛と変わらない。陽光を知らず外世界を恐れ、存在はすれど成長はしない。我々は他者との交流によって成長がで きる。自身の避難所としての小さな殻は必要であろうが、そこはあくまでひとときの休息所、そこに留まらずさまざまな交流を以って、自己を確立 するばかりではなく成長させるのが、我々人間の人間らしい生き方ではないだろうか。                                                    
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