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学問の意義
イチゴの峰の広場
ミルク/あいま高2
私は今学生だ。毎日呆然と仕組まれたシステムの中で勉強している。しかし、このような生活の中で学問の意義を見出すことはできるのであろう
学問の意義についてはいろんな考えがあるであろう。社会に貢献するためと考える人もいるだろうし、自分のためと言う人もいる。どれが正しい
とかはないが、今の日本の教育制度はそれらとは別個のような気がする。ただ、テストでいい点をとればいい成績が与えられ、出来ない人はおいて
いかれる。そして学校もレベルわけされている。これではなんのために勉強しているか分からなくなってしまう。
私にとっての学問の意義とは、一概にペンを持って勉強することでなく、そこに自ら学びたいと言う意志が入ってはじめて意義が成り立つと思う
。ただテストでいい点をとるために嫌々ながら勉強するのでは、すぐに忘れてしまうだろうし、意味がない。私は世界史が大の苦手なのだが、「苦手
」という固定観念があるせいか、覚えようとしてもなかなか覚えられないし、覚えたところでまたすぐに忘れてしまう。学問だけでなく、なんでも自
分が好きなことは積極的になれるが、嫌いなものには取り組みたくないはずだ。
確かにテストで知力をみることも必要かもしれない。だがそれで、たまに人間性まで判断されてしまうことがある。私の前に通っていた中学では
、テストができる人はなにをやっても怒られなかった。その反面出来ないひとが同じことをすると徹底的に注意された。どうやらテストが出来る=
優良と勘違いしてしまっているらしい。
さきほど学問とは勉強することに学びたいという意志が入って意義が成り立つとのべたが、勉強することだけではない。学芸を修めることや、そ
うして得られた知識のことも学問という。私はペンを持ち学ぶ学問より、むしろ自分から行動し得た経験のなかで「学問の意義」というもの捜して
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