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学問の意義 アジサイの広場
UZI.SMGそお高2

 学問の意義について考えると、まず浮かんでくるのが学校でやっている勉強だ。この勉強と学問とは別種である。学問というと、例えば物理なら
自然界に存在する法則のようなものを探求して人間の存在だとか世界観を解き明かそうとする、そういう行為だと思う。一方学校の勉強は社会体制 が要求する能力を身に付けるためのものであって基本的には「普遍の真理を探る」側面は含まれない。しかしそう考えるならば、学問(または教養 もそれの一種だろう)をやらなくても生活する上では不自由しないし、必要ないようにも思える。さらに言うならば学問は、好きな人だけがやる趣 味に過ぎまい。現に世紀の大発見・大発明をした人々は極限られた人であり、しかも大抵凡人から見れば狂人・変人の類だし、そうした人々が苦心 して生涯を捧げて作り上げた学問の世界なんかは普通じゃないはずだ。だが、現実から察する通りそうしたいかれた世界からの恩恵を受け僕らは生 きている。現代社会のベースとなっている学問。学問の良し悪し、面白いかつまらないかは別として現実を直視するならば、その世界を知ることは 今の社会、今の自分を知ることにつながると考えるのは問題ないだろう。だから自分は自分なりの考えをもって他人に流されないように生きたいと 思う人は学問や教養をつければよいと思う。ただし学校の勉強を黙々とこなすのは社会に巻かれているだけなのでやはり学問とは一線を画すると思  

 学問は己を知る、世界を知る、という探求活動だ。それに派生して出てくるおまけとして科学技術の恩恵やら社会体制(学校での勉強のその一部
)への利用などがついてくるんだろう。人が火を使い出したということも考えようによっては自然発生する火事を一般的に起こす、つまり自然現象 を普遍的な現象として捕らえようとした始まりだ。学問は人間の特徴。だから雰囲気だけでも確かめるべきではないだろうか。と偉そうなことを言 っている自分は高校にいって勉強しているわけで、所詮体制に巻かれているわけだが、その楽なコースを卒業しなければならない頃合にいるという  

 
                                                     
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