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「便利」ということ アジサイの広場
佐保あるま中1

 便利だけれど、すぐさま勝手に暴れだし、新たな問題に右往左往する結末を繰り返すのが、「ドラえもん」の道具である。現代の日常生活は科学
文明を過信するあまり、便利という言葉に浮かされて出来合いの科学を大量に買い込み、これでもかという失敗を繰り返しても、実に平気なのであ る。私は、便利さの目に見えないところのマイナスの部分にも目をむけていきたい。  

 第一の理由は、次々と進化していき、便利なものがますます便利になると、この間まで一番便利だったものは、どうなっていくのか・・・と思う
からだ。人間というのは少しでも不便になってくることに対して、それ以上に便利にしようとするものである。例えば洗剤のCMで、こんなものがあ  

 「今度のNEW! ★★洗剤は、前よりもずっとパワーアップ!!!」
 

 そして、前例のものと比べた図が出される。こんなふうに、新しいものばかり出していて良いのだろうか?又、前例のものを買っていた者にとっ
ては不都合なものであると思う。  

 第二の理由は、便利のために無駄に使われている資源があると思うからだ。「便利」を作り出すためには犠牲になる物が出てくる。それが、資源
である。犠牲となった資源は、取り戻すことができないのだ。私は、「それだけの資源を犠牲にしてまで、果たしてどのくらいの人が便利な物を上 手く使いこなすことができるか」ということに注目したい。例えば携帯電話。私の祖父は、誕生日に私の叔父(つまり祖父の息子)から携帯電話を もらったという。でも祖父はもらいたての頃、  

 「これ、どうやってすんねん?」
 

 の連続だったそうだ(笑)。でも、今の時代はそこではすまされない。
 

 「こんな操作もちゃんと覚えなあかんな・・・。」
 

 と、そうなってしまう。今は、便利な方へ・・・ということばかりを重視する、そんな時代なのだろうか。
 

 確かに、電子レンジにしろ、エアコンにしろ、便利なものは快適な生活をもたらしてくれるものである。だが、やはり「便利」に使われる資源の
ことも考え、  

 カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わねばならない というように、(目の前にあること)マイナス面にも目を配ってい
くことが大切だと思う。                                      
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