先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
CM アジサイの広場
ひまわりあなつ高2 ☆ 六十年代以降、広告のいわゆる「もの離れ現象」がおきたのは「技術の高度化が平準化を生み、競争商品の間に品質や性能上の差異がなくなった 」結果だった。商品が似たようなものになればなるほど、自社商品の印象を競争商品から際立たせる必要が生じ、その「差別化」の役割を、もっぱ ら広告が担うことになったのである。だがその広告においても同様の平準化が起こったのである。無個性な、表現だけが浮き上がり、心の喚起力も ない広告表現の「モノ化」現象が今では気になる、と筆者は言っている。  

 ☆ 私も作者と同じように思う。最近、一体何の商品のコマーシャルなのかわからないものが多くて、非常に腹が立つ。宣伝したいものとまったく
関係のない映像を流したり、全く映像を流さなかったり、全くナレーションが入ってなかったりと、変わったコマーシャルが多いのだ。これらの中 には確かにとても印象強いものがある。だがそれで何を伝えていたのかは全く思い出せない。これでは何のために宣伝しているのかがわからない。  

 ☆ やはりCMを作る業者は、どうすれば、より強い印象を視聴者の頭に残せるのかと、かなりの時間とお金をかけてその一本のCMを作り出すのだろ
う。それはよく伝わってくる。今の時代、どれも言うところのないほど高機能に作られている業界の中で、その商品がどれほどの印象を持っている かというのは、売り上げに大きな影響を及ぼす。CMなどの広告は大変必要なのだ。しかしそこで本当の目的を忘れてはいけないのだ。作者の言うよ うに、言葉が「モノ化」してはならない。CMで売り上げを増やすといった考えを少しなくして、本質で勝負するということを忘れてはいけないのだ  

 
                                                   
ホームページ