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清書:ゆとりある労働 アジサイの広場
UZI.SMGそお高2

 日本の労働者には、外国の労働者に比べ、ゆとりがないと言われているが、それはなぜであろうか。そもそも、「ゆとり」とは何であるか。それ
は個人の価値観によって異なるだろうが、ここでは、外国の労働者との比較の上で考えたいので、差異が大きく現れるであろう時間的、精神的な余 裕について考えたい。  

 
 

 かつて日本が経済発展していたときに、様々なジャパンバッシングが起こった。その中でよく「西洋人は休暇で遊ぶのために働くが、日本人は仕
事のために働く」と皮肉られることがある。これは確かに当たっていて、例えば製造業における労働時間をみてみると、日本:46、アメリカ・ド イツ:40、フランス:38、(単位:時間/週、85年~90年でほぼ変わらず)である。週6時間の違いは一年間では300時間近い格差にな るわけで、つまり日本人が年中働いている間に、アメリカ人やフランス人は2・3ヶ月近くのバケーションをとっていることになる。実際、フラン スでは、それくらいのまとまったバケーションを取るのは当たり前で、休暇シーズンになると、町じゅうの商店が閉まって、街から人がいなくなる そうである。時間的な尺度で測れば、確かに日本人にはゆとりがないのだ。  

 
 

 また、仕事に対する認識も違うという。日本では、冠婚葬祭以外での休暇は、認められないのが常である。しかも、終身雇用制が根付いているた
めか、給料のいい会社へ移ったりするのも一苦労だという。これは外国との比較とは関係なく僕が抱いている疑問だ。会社に隷属して、へたばるま で働いて、その上年功序列で給料が安いなぞ、ごめんだと思うからだ。もっとも、最近では、そうしたスタイルの会社は減っていると言うが。ただ し、こうした見解には、実体験が伴わないので全く正しいとはいえない。だが、そのような見方にたどり着くだけの雰囲気や環境が、日本にあると いうことは言えそうである。つまり、日本では精神的に窮屈な職場が主流派ということだ。  

 
 

 このように考えるとやはり日本には時間的、精神的余裕が欠けると言えるだろう。ただし、何も初めから好きでそうなったわけではなかろう。戦
後無理をしてでも経済復興し、経済大国を目指したとき必然的に、先進諸国が寝ている間に日本人は働いて稼がねばならなかったと言う背景は確か にある。そして、努力の甲斐あって、念願成就した。要するに、資本と言う富を手にしたのだが、何かを選択することは何かを捨てることなので、 その他の「豊かさ」は無視されてきた。だが現在、といってもだいぶ前からだが、その無視されて捨てられてきた「豊かさ」を求めるようになった 。その中の一つに、「労働のゆとり」がある。つまり、「仕事一筋」と「ゆとりある労働」は背反であるから、今までどおりのシステムでは、いつ までたっても「労働のゆとり」は得ることはできない。だから「ゆとりある労働」を実現するには、反社会的な、一種の革命にあたる構造改革が必 要だ。それを成さない限り、いつまでたっても仕事のための人生を続けるしかない。また、改革したからといって、決して楽して金持ちになれるわ けではないし、厳しい競争社会の展開というリスクは当然考えられる。さて、日本人は痛みを伴う構造改革を断行するつもりなのであろうか?  

 
                                           
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