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アジサイの広場
ほり内ぬり中2

 僕が今、やっているゲームに「ネオアトラス」というゲームがある。このゲームの主人公はポルトガルのリスボンという所で、貿易商をしているの
だが、1614年のある日ポルトガル国王から貿易特権契約という契約を結ぶことになる。その内容というのは、  

 「ポルトガル国王は貴下と以下の契約を結ぶものである。すなわち、貴下は国王の航海事業発展のため
未開地を探索し、発見した事実を直ちにポルトガル国王に報告するものとする。毎年、王国は貴下に見合う援助を約束し、探索途上で発見した特産 物については、貿易の対象として  

 つまり、新しい産物を見つければ、その産物を独占で貿易することができるのである。そのゲームの中に、「世界は丸いのか、平らなのか」とい
うテーマが登場する。そこで登場する世界観は丸い世界、平らな世界、巨人が手で地球を支えている世界、ヘビとカメとゾウで支えられている世界 、と4つある。これは、世界全体を見ることになる。  

 最近良く分からない人を見掛ける。自分のことしか見ていない人たちつまり自己中心的な人たちである。その人たちは、社会のルールは全然守ら
ない人達でもある。例えばゴミを集収日に出さなかったり、電車の中で堂々と携帯電話で話している人など良くないことをしている人たちである。  

 確かに自分だけを見ると、他のことを考えずに、一つのことに集中できるからいいかもしれない。もしいきなり自分のところに100年ぐらいで
やっと終わるような打ち込みの仕事が合った場合、かなり悲しくなるが、他のことは考えずに、自分のことだけを考えていれば、100年で終わる 仕事も1年ぐらいでできるかもしれない。このように自分のことだけを考えるとものすごくハードな仕事もすぐにできるのではないのか。  

 しかし世界全体という大きい単位で見ることも大事である。しつこいようだが、もし自分が火星人で、地球を全く知らないで宇宙から地球を見た
としたらどうするだろうか。自分は、全く平和な世界だなと火星人は思うに違いないと思う。なぜかというと、海は青くてきれいで、緑がきれいで 、戦争が有りそうな感じではないような星に見えると思うからである。  

 確かに、自己中心的に見るのも世界全体で見るのもいい面はあるが、一番大事なのは自己中心的に見ても、
 

 「どうだ!平和だぞ!」
 

 と胸を張って言えることではないのか。
 

 
                                       
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