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社会に広がるオープンソース アジサイの広場
稔央いつや  

 オープンソースの特徴は徹底的に開かれているということにある。それは開発に携わる人々、つまり内側に向けて開かれているというだけにとど
まらない。オープンソースではそもそも内側という領域があるかどうかも疑わしい。古い開発方法では内側にさえ情報は満足に開かれているとはい えなかった。創造という作業は外部から隔離された少数の人間が独占するものとういうのが常識だったのだ。ところがオープンソースのやり方は全 く逆をついている。外部を積極的に議論に参加させるのみならず、肝心な部分に手を入れさせてしまう。これまでの少数が特権的に情報を握ってい たのとは外部のエネルギーを積極的に取り込むことで柔軟な発想を可能にしている。  

 この特徴をどのような場面に生かせるのだろうか。リナックスのように最先端の分野での創造性が求められる現場に適しているし、これまで情報
が公開されなかったのが当然だった分野に情報公開を持ち込むことで新しい風を吹き込むことができるはずだ。例えば教育現場では教師がどのよう な授業を子供に提供しているかというのは保護者にとって完全にブラックボックスの中に入れられた状態にある。保護者が満足な授業が行われてい るかどうかを知る術は子供との会話や年に数回行われる授業参観、保護者会といった限られたものしかない。乏しい情報を元に推測するしかないわ けだから現状を把握しにくく、いじめや学級崩壊といった重大な問題の兆候を見逃してしまうかもしれない。たとえ問題を発見しても保護者にとっ ては子供を教師に人質に取られているに等しいから報復を恐れて教師の気分を害するような提言をしにくい。こうした閉ざされたものになりがちな 授業を映像で自宅にいる保護者に公開すればこれらの問題も解決するのではないだろうか。何よりも学校教育が保護者にとってより身近なものにな って活発な議論を呼ぶだろう。教師にとっても全授業の公開は授業参観か、あるいはそれ以上の緊張感を毎日強いられるはずだから意識の改革をせ まられるはずである。あまり考えもなしにやってきたことを意識してやるようになるはずだ。得てして子供が一生涯忘れられない心の傷を負うのは 教師の不用意な言動によるものが多い。いつも見られているかもしれないという緊張感があればこういったことは防げるはずだ。  

 しかし情報の公開を導入するためには障害に立ち向かわなくてはならない。セキュリティの問題もあるが、情報公開の最も大きな抵抗になるのは
ぬるま湯に浸かってきた内部の人間だろう。例えば教育現場での教師、コンピューター開発会社の経営陣といった人々である。彼らに共通するのは 競争や外部からの監視の目にさらされずに温室のなかで守られた状態におかれてきたということである。彼らが外部からの視線から厚い壁に守られ てきたのは内部だけではなく外部からもしかたなくではあるものの良しとされてきたのには、もちろんコンピューターネットワークが整備される以 前の技術的な問題があった。しかし技術として可能になった以上もはや導入を避けることはできないだろう。  

 
                                                 
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