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講評 |
題名: | 考えること |
名前: | 舞 | さん( | あおき | ) | 高3 | アジサイ | の | 丘 | の広場
|
内容 | ◎ | 字数 | 969 | 字 | 構成 | ◎ | 題材 | ◎ | 表現: | ◎ | 主題: | ◎ | 表記: | ◎ |
講評を送る時点で、まだ課題長文を読んでいないので、この文章だけでのコメントである点、ご了解を!"☆" |
小学校の教室に「努力」「誠実」といったスローガンが書かれた額が飾ってあることが多い。これはなぜ飾るのか |
。人がそもそも放っておくと努力を怠り、不誠実なことをするからではないか。努力している人・誠実である人は |
敢えてスローガンを掲げるということもないだろう。そう考えると、諭吉の言葉は「そうありたい・そうしていこ |
う」というスローガンであったとも取れそうだね。人が・自分が・日本という社会がそうではないと自覚している |
からこそのスローガンだと言えないだろうか。言葉と本質が必ずしも重なっていないのには、こういうことも言え |
そうだよ。"☆" 周囲の評価によって、その人や行動の価値が決定されるということは、他者あってこその自分と |
いうことになるね。これはいい面も悪い面も含んでいそう。自らが考える自己と周囲の評価との格差をいかに捉え |
るか。周囲の評価を求めることのみで自らの言動を規定することに、問題はないのか。いろいろと考えられそうだ |
。 ところで、最後の文「イエス……」これは「絶対真理者」ということかな。インパクトの強い文ではあるけれ |
ど、特定の宗教についてのコメントというイメージも引き出しかねないね。イスラム教の人であればイエスが現れ |
ても……と思うだろうし。(そもそも、イエスの存在を信じていないだろう。)「キリスト教であればイエスが、 |
イスラム教であればアッラーが……」などとして、「このような絶対的な者が現われなければ、周囲の人こそが決 |
定しさえすれば人は成功者となりうる」ともっていくろよさそうだな。"☆"「一つづつ」→「一つずつ」 |
| けいこ | 先生( | なら | ) |
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