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清書:手紙の温かみ アジサイの広場
すみすみあない小5

 私は、「手紙は、心を込めて書くべきだ。」という文章を読んで、思い出したことがある。それは年賀状のことだ。
 

 私の父は、一回になんと600枚くらい出す。そのため、年賀状のもとはパソコンで印刷をしている。しかし、父は600枚全てに一言一言手書
きで書き添えている。もし、このたった一言がなかったらどうだろう。ただの印刷しただけの紙っぺらをもらった人はどう思うだろう。もし私がも らったら、絶対に嬉しくない。  数年前だっただろうか、実は私は、その印刷しただけの紙っぺらをもらったことがある。それをくれた人は、私 の結構なかの良い友達だった。当然のことながら、全然嬉しくなかった。  

 母は、毎年115枚くらいの年賀状を出しているが、やはり一言二言は絶対に書き添えるようにしているそうだ。母曰く、
 

 「手書きがないと、もらった時にありがたみと、温かみがない。」
 

 のだそうだ。
 

 私は、もちろん手書きスペースを作っている。東京に引っ越してきた年から、図工の時間に「プリントゴッコ」で年賀状づくりをするようになっ
たため、手書きスペースを、よりいっそう意識するようになった。手書きのない年賀状は、まるで感情のない、ロボットみたいだ。ただ単に、用件 を伝えるだけの、何のありがたみも無いロボットみたいだ。  

 私も筆者と同じように、手紙などはただ単に用件を伝えればいいと言うものでもないと思う。どうせ伝えるなら、ありがたみや温かさがあった方
が良いと思う。たった1行書くことを、惜しまないでほしい。それを惜しまないだけで、その手紙の価値がぐんとあがる。 今は、パソコンで早く 作れるから、手書きの入った年賀状は少なくなってきているのではないかと思う。こういう時こそ、手書きが大切になってくるのではないか。                                              
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