| 科学における発想と |
| イチゴ | の | 谷 | の広場 |
| 幸子 | / | あさも | 中2 |
| ある研究者が、三十年ほど前に、マツノキハバチというハバチに興味を持っ |
| た。摂氏二十五度と十六度で飼育を行ったが、どちらの幼虫も全滅してしまっ |
| た。三年目に、ふと「飼育温度は一定ではなく、高温・低音と振れなくてはい |
| けないのではないか」と思った。結果的に、予想は的中した。が、学会で発表 |
| する時は、「それで、ふと思い付きまして・・・」とはいわずに”論理的”に |
| 説明した。”素人”である私たちは、本当に論理的に研究したと信じて疑わな |
| い。科学も技術も、普通思われているのとは異なって、ずっと人間的なもので |
| ある。 |
| 有名な、パスツールやニュートンなども、偶然のひらめきによって、歴史上 |
| に名を残す(?)ことになるのである。パスツールは偶然古いコレラ菌を鶏に注 |
| 射してしまうことによって予防注射を、ニュートンは偶然りんごの木からりん |
| ごが落ちてきたことによって万有引力を発見するのである。パスツールにした |
| って、ニュートンにしたって、近くにいたのが愛する鶏だったら、絶対に注射 |
| しなかっただろうし、りんごが落ちてこなかったら引力も発見できなかったに |
| 違いない。 |
| 確かに論理的に考えることも大切であるが、自分の勘を信じることは、非常 |
| に大切である。(問題とかでも、直感が合っていて、考えて解いたのがぼろぼ |
| ろ…ってよくあるは・な・し。) |