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都会<>田舎
アジサイの広場
信長あえほ小5
 みどりのゆたかな田舎、金持ちがたくさん都会、みんなこんなイメージがあ
たまにひっかかるらしい。しかしぼくはどこが「田舎」でどこが「都会」何な
のだろうか?まれにそんなことを考えます。別に僕が田舎を考え付かないわけ
ではありませんきまらないのです。「それなりゃじぶんできめちゃいな」とあ
る人は言うでしょうしかしそれを決めたところで現実が変わるわけではないの
です。真実を空想に想像を事実にすることはできないことなのです。というか
できてもしてはいけないことなのです。なぜかといえばひとそれぞれおもいは
ちがうのだから。・・・・・・・・・・・・・・・
 
 一番僕が考えたいのはいなかととかいのちがいなのである。
 
 
 
 ところで最初の疑問まず田舎から考えてみたいもともとのいみは辞書を調べ
るのが一番いいけどいやまてよやはり!!!!!!
 
 辞書にはよんだひとがよくおもように書いてある。なるほどむかしはそうか
もしれぬしかしいまでは、ふゆになれば出稼ぎで両親がいえに居なく孤児状態
、夏になればほとんどの子が農作業に駆り出されるので学級閉鎖そんなことは
あり得る世の中かもしれない、しかしそれをだれも止めもしなけりゃしらべも
しない。だからといって僕はそれをもんくいうわけでもな
 
 い。じぶんがそこにふくまれるからだ。
 
 つぎは都会をかんがえます。金持ちがたくさんいるというじょうけんなら戦
後まもなくは米をうってもうけた稲作がおもなさんぎょうである新潟市米沢市
は昔はせいじのちゅうしんちなからずも都会であることはたしかであるにちが
いないので
 
 はある。なぜかといえば前述した通り米を作る人が多いからである。まあい
までは政治の中心地東京に完全に、都会というもじはもどった。僕はこの文章
を読んだことからまれなときですが出てくる疑問をひとつでっもりかいできた
んでよかったです。またこのきみこさんのかんがえたうそつきはいけないかと
いうぎもんこれはべつによくもないしわるくもないものだ、とぼくはおもいま
す。またこのけんちゃんとよばれたこは今も元気に孫と生きていると僕は思い
たいのです。ひとは名誉のために死ぬよりも恥のために生きる方が、よいとぼ
くはおもいますほんとうは人が災害以外で死ぬことがない原始時代から進歩の
道をあゆんできたいきものなのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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