私はおかしくありません! |
アジサイ | の | 滝 | の広場 |
がっちゃん | / | てな | 中3 |
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レトリックとは、同じ一つのコインに対して「円形である」および「長方形 |
である」という、あるで別の見方が成立した事情と似ている。また、一つのこ |
とを多角的に考え、かつ多角的な言葉によって表現してみることである。自分 |
の視点と自分の言葉づかいだけが正しいと信じきっている人は想像力ないし創 |
造力を思い描くことができない。肝心なのは、相手の立場、別の視点に立って |
みればどんな具合にものが見えるか、ということを思い描いてみる能力である |
。レトリック感覚は、発見的な認識には欠くことのできない上に、人をできる |
だけよく理解するためにこそ必要なのだ。 |
私は、人と同じことをするのが大嫌いだ。集団行動も嫌いだ。一匹狼のよう |
だと自分で思う事もある。例えば、学校で仲のいい人達が互いに集まって、い |
わゆる「仲のいい人グループ」をつくる。人によっては、そういうグループの |
中に入っていないと不安だという子も多い。しかし、私はそのような集団にし |
縛られるのだーーーいきらいなのである。こんな私を友達はおかしいとか、狂 |
ってるとか、パーだとか、失礼なことをいうが、私は決してパーではない。 |
確かに、人とは考え方が少々違うかもしれない。いや、違うというか、違う |
ようにしているのかもしれないが。しかし、それはそれで良いと思う。なぜな |
ら、同じ人と毎日いるよりも、いろんな人と接したほうがいろんな性格に出会 |
えるし、人のことを知ることができる。そして、一番思うのは、人懐こい人間 |
でいられるのだ。 |
このことは、政治でも感じる。例えば、1947年5月3日に施行された( |
最近社会で習ってやっと覚えられた)「日本国憲法」の中の「生存権」という |
権利で考えてみる。生存権はその名の通り生きる権利である。経済的に厳しい |
家庭の子どもは義務教育までなら「生活保護」という援助金を得ることができ |
るというのも、生存権の一つだ。これは、なかなか国民のことを考えたいい憲 |
法だと思うであろう。ある家庭では、援助金の使わない分を毎月少しずつ、少 |
しずつ貯金していったという。なかなか大きなお金になったので、テレビを一 |
台買った。すると、その家庭への援助は廃止になってしまったのである。なぜ |
か。それは、「生活保護」は本当にお金がない人にだけ与えられるものなのに |
、テレビを買ったこの家は、テレビを買う余裕があったというようにみなされ |
、援助は必要ないとされたのだ。「大日本帝国憲法」から「日本国憲法」にな |
ってよかったと思えば、テレビ一台で不便になる。 |
このように、少し多面的な見方をするとそれ本来の性格が見えてくる。カト |
リック教徒も、レトリック感覚を重視して、ヘアトニックのように役に立ち、 |
ミスターマリックの手品のトリックに気づくといいと思う。そして、すべての |
あらゆる人間がレトリック感覚をもち、住みよい日本になるといいね。みなさ |
ん。 |
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