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拓馬 | / | ねき | 中2 |
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人には、多かれ少なかれ長所があり、短所もある。そして、願わくば長所を |
外に出し、短所は隠していたいものである。しかし、どんなに隠そうとしても |
、隠しきれないのが現状である。それならば、短所を少なくしてしまおうとい |
うのが得策であると考える人は多い。そして、努力をして短所を少なくする。 |
また、長所を伸ばして、短所に目を向けさせないようにしよう、という人も |
いる。自分にセンスがある何かを徹底的にやって、これだけは誰にも負けない |
というものを創るのである。 |
この2つを数学的な式に表すとすれば、前者の長所が50で、短所が-50+30 |
=-20、後者の短所が-50で、長所が50+30=80ということになる。両方とも |
差は30だが、相当な違いがある。私は、後者のような考え方がいいと思う。 |
確かに「短所を少なくする」ということは大切である。短所が多くては、い |
ろいろなことに対しての対処が出来ない。それに、短所があだになって失敗し |
た、なぁ~んてことも少なくない。しかし、そんなことが自分の身にあった覚 |
えが無い。別段、短所によって何らかの被害に遭った事は私はない。それに、 |
あったとしても、とても小さい事で、その時は大恥でも、今考えてみたら、そ |
んなにいやな事でもない。それに、父に聞く話では、昔方程式が苦手で、今も |
ほとんど出来ないが、困った事はなかったという。それだけ、極端に言えば、 |
「無駄」なこともある、という事である。まぁ、短所をなくすに超した事はな |
い。だから、短所をなくす事は決して間違いとはいえないのである。 |
しかし、だからといって「長所を伸ばす」事は間違いだ、とも言えない。「 |
天才」と呼ばれる人物のほとんどは、そのことに天才なのと引き換えに、他の |
事が信じられないぐらいにダメだったという(ただし、レオナルド・ダ・ヴィ |
ンチは、「万能の天才」と呼ばれるほどの人物だったが)。限りある人生の中 |
で、何もかも均一にとてつもない業績を残すには、すべての事にとてつもない |
センスを持っている、生まれながらにして「天才」の人物しか出来ない。しか |
し、実際にそんな人間がいるはずもない。だから、一つに絞って、そのことで |
はそこらの優等生には絶対に負けないほどにする人間がすばらしいと思う。し |
かし、日本の社会ではそれはむずかしい。みなが平均的になる指導をしている |
ので、自分がそうしようとしても、なかなか理解してくれる人間がいないので |
ある。 |
短所を少なくする事も、長所を伸ばす事も大切である。しかし、だからとい |
って、両方やろうとしてもそんな事は出来ない。だからといって優先順位もつ |
けられない。ならばどうするか。それは、自分の生き方にあわせればいいので |
ある。何事もそつ無くこなすような人間が良ければ短所を少なくなるようにす |
ればいいし、サッカーでブラジルにも負けないように本気で思っていれば、サ |
ッカーをやればいい。日本で出来なかったら、アメリカでもブラジルでもやり |
やすいところでやればいい。「悪い事そのものがあるのではない。時と場合に |
よって悪い事があるのだ。」という言葉の示す通り、「その方法が悪い」とい |
う事はないのである。志の違いによって「この方法は余り良くない」というよ |
うな事になるのである。1つに統一することはないのだ。人はそれぞれ違うの |
だから。 |