ローカルとグローバル |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
武照 | / | あよ | 高2 |
濃い群青色の宇宙に多くの星が輝いている。その中心にあるのは水の惑星、 |
地球である。その地球に手を掛けて寝そべっているのはライオンの子である。 |
ライオンの子の目はじっと我々を見つめている…。 |
これは自然保護を訴える画家、シム・シメールの作品である。一見美しくは |
あるが奇怪な彼の作品は宇宙と動物を同じ画面に描くことによって、我々にグ |
ローバルな視点を持つことを訴えている。私は彼の作品は素晴らしいと思うが |
グローバルな視点が必ずしも自然保護に結びつくとは思わない。ドラえもんが |
五分ごとに二倍になる薬をかけた饅頭を、のびたが食べきれず宇宙に捨てる話 |
があるが、宇宙開発が進んだとき我々は今度は宇宙規模の視点をなどと言うの |
だろうか。それに伴い我々の視点ははるか我々の届かない所に行き、対象は供 |
えられたもちになるであろう。我々はローカルな視点をもう一度見直していか |
ねばならないだろう。 |
近年我々がグローバル化を推し進めてきた背景には戦前の閉鎖的な社会への |
反省があるのであろう。天照大神の子孫という大義名分のもと、侵略行為を繰 |
り返し、そのあげく一からやり直そうと誓った国民を我々は知っている。我々 |
の心のなかには今でも国際化は正義であるという考えが生きているであろう。 |
狭い庭に使いもしないバスケットのゴールを建てたりするのはその好例であろ |
うか。我々が愛国心と言った時、どこか違和感を覚えるのは悲しむべきことだ |
。 |
たしかにローカルな視点と言うものは閉鎖的な世界を生み出すことが多い。 |
日本がドイツなどに比べて競争社会に出遅れているのもその一例であろう。し |
かしながら現在の日本が無意識に受け入れているグローバリズムというものは |
何も生み出さない可能性が高いであろう。私が好きな地学とくに古生物学は、 |
地球を扱うのだから地球規模で物事を考えるのだろうと思われることが多いが |
、それは多くの場合正しくない。個人の研究対象は一つの地域を徹底的に調べ |
、データを蓄積することが中心となる。グローバルな視点だけで良いなら古生 |
物学者は哲学者になればよく、土にまみれていなくとも良いのである。そのデ |
ータが蓄積して始めてグローバルな視点に基づいて理論が生まれるのである。 |
ローカルな視点の欠けたグローバルな視点と言う物は机上の空論にすぎないで |
あろう。そして最も重要なことだと思うのだが、私の経験した限りではこの両 |
者は必ずしも相反することではない。 |
まずはローカルな視点で自国を愛することだ。自国を愛する心と宇宙飛行士 |
が地球を愛する心は決して矛盾する物ではないはずである。ローカリズムに立 |
脚したグローバリズムというものが現在求められている。 |