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         変化自在の「矛盾」
アジサイの広場
拓馬ねき中2
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 矛盾には、良いものと悪いものがあって、嫌われる方は、良い方を除外して
考えているようである。同じ平面上を、反対方向から進んで来た二つの同じ力
がぶつかれば、両者は互いに相殺しあって、運動のエネルギーは消滅してしま
う。避けなくてはならない矛盾とはこの相殺の論理のことであろう。こうして
、一度矛盾が不毛だと知れると、われもわれもと論理性へ走る。
 
 しかし、論理的一貫性とは、裏返してみれば、同類同質的なものが猫の子一
匹も通さぬような近接状態で数殊つなぎ並んでいることにすぎないのではない
か。
 
 月並みの句などということばは、かすかな平面的連続を敏感にかぎつけて、
それを嫌ったものと見ることができる。
 
 私は、矛盾を突然目の当たりにした時は、笑う。普段考えているような、一
般に「常識」と呼ばれるものが全く役に立たなくなると、人間は何らかの反応
を見せるだろう。それが私の場合「笑い」だ。例えば、普通に歩いていて、木
もないのに突然上からミカンが降ってきたらどうする? 木のないところにミ
カンはない。これは常識であるが、この場合、その常識が崩される。どんなに
否定しようとしても、現に起こっていることにケチはつけられない。こんな時
は、笑うしかない。自分が常識とともに崩れる前に何らかの行動を起こさなけ
れば、自分が壊れてしまう。そして、「これは、神様のお恵みだ。私は、その
恵みを受け取った。そう、それだけなんだ。」と意味不明で妙な正当化をする
しかないだろう。ここで、何か理由があるに違いない、と考えったって、それ
で理由が分かれば良いが、普通は悩みの深みに入り、悩み死にするのがオチで
ある。これは、「謎」のまましまっておくのが一番平和である。
 
 矛盾とは、それほど難しいものなのである。そこらの参考書の問題なんかよ
りはるかに難しい。また、うまい作品に「矛盾」を入れると、たちまち「芸術
」になることもある。偉大な画家ピカソを例にとって見よう。彼の絵は、見た
通り凡人の私たちには、それこそ「わけワカメ、意味ぺこちゃん」状態である
。しかし、見る人が見れば、とてつもない芸術になる。あの絵は言うまでもな
く矛盾している。人が横を向いているのに顔が正面だとか、物理的に考えられ
ないほどの空間を絵に描いたりと、矛盾ばかりである。しかし、そんな絵が、
今や世界の財産になっている。なぜあの絵が芸術なのか私には分からないが、
とにかく矛盾には、人を引き付ける効果があるようだ。
 
 確かに矛盾は、厄介なものである。常識がきかなかったり、理解しがたかっ
たりする。しかし、矛盾は、時に人を楽しませたり、時に芸術のスパイスにな
ったり、また時に考えの間違いを探す鍵にもなる。ずばり変化自在なのだ。だ
から、世の中すべてが論理的に進んでいたら、つまんないし、芸術も生まれな
い。それより何より、進歩がない。かといってオール矛盾では、物事が進まな
い。つまりは単純に、両方の良いところを取れば良いのである。そして、互い
が互いを相殺することのないように気をつける、これさえ守れば、“べりぐー
”なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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