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ローカルとグローバル
エンジュの広場
馬のしっぽはり中3
 私は、世界中の人と楽しくコミニュケーションが取れるようになって、結婚
したら田舎で野菜なんかを庭で育ててゆったりと生きてみたいなぁと思ってい
る…ババくさいんだけどさ(笑)。
 
 私の両親は岐阜の出身で、親戚の人とかと電話で話したり、実家に帰ると岐
阜弁を話す。私は方言を話す事は田舎者だと思っていた。でも、二・三年位前
から、向こうの人と話す時は、向こうの言葉のほうが親しみやすいと思い、岐
阜に帰ると、おじいちゃんやいとこの話す言葉を真似て、岐阜弁を話すように
している。日本全国を見渡してみると、テレビとかに出てくる芸能人の中には
、大阪出身のせいか、自分の地元である大阪弁を使って話す人がいる。そのせ
いか、東京など標準語を話す人の中にも、大阪弁を話す人が出てきている。方
言が大切にされ、見直されてきている。また新聞では、「1999年(平成11年)」と
書かれていたのが、「平成11年(1999年)」と書かれるようになった。ローカリズ
ムな考えが、日本中に広がってきている。
 
 私は、藤沢で生まれて鎌倉で今も昔も生活している。だから、少―しなまっ
てはいるけれど標準語を話している。標準語は方言と違って、日本中の誰にで
も通じるから便利だ。グローバリズムな考えはローカリズムな考えが出てきて
も、今も健在している。
 
 世界的に見てみると、日本は治安が行き届いているため、盗みや殺人が世界
に比べると少ない。また、弱肉強食の世界に比べ、社会的にも非常に保護的で
、それぞれの会社は国からの援助を受けている。生き残り競争を展開するので
はなく、みんなが同じように伸びることが出きるようになっている。こんな日
本だから、日本人が外国に行って財布や貴重品を部屋において出かけて帰って
みると、盗みに入られたということがあるのではないか。自分のことは自分で
守るという考えの世界からみると、日本は過保護なのかもしれない。
 
 ローカリズムとグローバリズム、どちらも優れている。でも、どちらにも欠
点はあるはずだ。この欠点をお互い埋める様にして日常に生かして行けたら、
世界的に優れた考えを持てる人間になれるのではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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