ローカルとグローバル |
アジサイ | の | 丘 | の広場 |
T.O | / | いう | 高3 |
独立し、地方から上京してきた人が最初に悩むのは、自分の育った地方の方 |
言と標準語とのギャップだろう。方言のようないわゆる「ローカル」な言葉は |
、どうしても都会的なイメージを持たせることができないので、軽んじられる |
傾向が強い。しかし、逆に「グローバル」な視点から見れば「ローカル」は「 |
グローバル」の一要素であるのだから、「ローカル」ももっと人々から目を向 |
けられ尊重されるべきなのである。 |
日本製の製品と海外の製品に対する印象にも同じ様なことがある。例えば、 |
和風料理は手が込んでいるのは良いが、食べる時に作法などが面倒だという意 |
見と、海外の食事は手軽で持ち帰りなどができるものが多いという意見がある |
。そういった理由で、ファーストフード店が繁盛し日本の食文化の洋風化が進 |
み、それが「グローバル」化で、洒落たものであると思う人が増えている。そ |
して、日本独自の食事は時代遅れしてしまったものであると思う人も増加し、 |
「ローカル」離れが進む。 |
また、日本は最近は幅広い年代層による犯罪が絶えないが、世界標準で見れ |
ば一応は治安の良い国であると評されている。しかし、それだけ平和ぼけして |
しまっているのも事実であり、海外に行くとスリなどの最適な標的になるのは |
日本人なのである。確かに犯罪慣れしていないということはある意味では危険 |
なことだが、それだけ毎日穏やかな環境の下に暮らしているということでもあ |
る。だから、このことは「グローバル」な文化の中にあって、日本の誇れる「 |
ローカル」な文化であると言っても良いと思う。 |
ある一つの地域に密着することはもちろん良いことであるのだが、度が過ぎ |
てしまうとただの馴れ合いに終わってしまい、発展がない。「井の中の蛙大海 |
を知らず」ともいう諺があるが、もし井戸の中の世界しか知らない蛙が海に放 |
り出されたとしたら、海の中には自分を食べるかもしれない天敵がいることや |
自分の知らないことに数多く出会うだろう。私たち日本人も、自分達が今生き |
ている世界の常識だけで満足するのではなく他の世界の様々なことを知り、「 |
グローバル」を形成する立派な「ローカル」という一要素になるべく精進する |
ことが大切なのである。 |