時間から逃れるためにはどうすべきか |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
山口晃弘 | / | あう | 大2 |
「釣り」や「パチンコ」を何も考えずにいたいため、または空白な状態になる |
ためにする人がいる。おをらく我々は、「流れる」時間と「積み重なる」時間 |
を交互に体験しなくてはならないが、「積み重なる」時間は、「流れる」時間 |
と異なり、意識的に工夫しなければ体験できない。また、「変わり目」のメリ |
ハリや情報化社会によって、「流れる」時間から逃れられなくなっている。し |
たがって現在の趣味は「何もしないでいる。」手段にすぎないのだ。 |
今の社会においては、携帯電話とノートパソコンは必需品であると言っても |
過言ではない。親は私に、もう仕事から逃げることができない私達の世代がか |
わいそうだと言う。携帯電話やノートパソコンがなかった親の世代では、仕事 |
の都合で、会社を出る都合があると、帰る途中で道草を食うことがよくあった |
という。携帯電話やノートパソコンがある現在では、どこにいても会社や上司 |
の命令は必ず届く。したがって仕事から逃げられることはない。ギリシア神話 |
の中でクローノスと言う怪物が登場する。時間の怪物クローノスは首の長い怪 |
物で、自らの産んだ子を追いかけて食べてしまい、クローノスの首の上に乗っ |
たゼウスだけが生き残ったと言う話である。このクローノスこそ「流れる時間 |
」であり、このクローノスの鼻先を食い殺されないように必死で走っているの |
が、我々現代人であろう。 |
確かに、情報化が進んだ現在の社会では、スピードが勝負となるため、時間 |
に追い立てられるのはやむを得ないといえる。しかしちょうどゼウスがクロー |
ノスの首の上に乗ることで生き残ったように、私達はどのようにしたら、時間 |
に追い立てられるだけの生活から抜け出すことが出来るであろうか。このよう |
なことを考えると、ユダヤ教のように働いてはいけない安息日を設定している |
宗教を思い出してしまう。意識的にしか経験できない「積み重ねる時間」をこ |
れらの安息日によって、経験しようと言う目的もあったのではないだろうか。 |
企業においても、このような絶対働いてはいけない日を定期的に設けることに |
よって、「積み重なる時間」が経験できるようになると思う。 |
確かに、我々は、「流れる時間」と「積み重なる時間」の両方を交互に体験 |
しているのであって、いつまでも「何もしないでいる」ということはかえって |
有害であるといえる。事実、ナチスの拷問の一つに、「何もさせない」という |
ものがあったと聞いたことがある。しかし、いつまでもクローノスの鼻先を逃 |
げつづけていくことはできない。いつかは息切れしてしまう。生き残ったゼウ |
スのように、時間の怪物クローノスの首の上に乗ることも、時には必要なので |
はないだろうか。 |