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知人に「釣り」を
アジサイの広場
さやかあおべ高1
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 趣味というわけではないが「その間だけ何も考えずにいることが出来る」と
いうことで「釣り」や「料理」などをする人が増えている。現在「何もしない
でいる」状態を「何もしない」ことで維持することは難しい。今まで、我々は
「眠る」ことで「流れる」時間を「積み重ねる」時間として体験し直してきた
。「流れる」時間は放っておいても体験できるが、「積み重ねる」時間は我々
自身が意識し工夫しなければ体験できないことになりつつある。
 
 確かに何もしないでボーっとしているとやらなければいけないことを思い出
してしまって「何もしないでいる」ということにはならない。私は月曜日から
金曜日まで学校に通っているので自分のペースというより学校の時間割などに
合わせてその日のスケジュールを決めている。又、習い事などがあり、「積み
重ねる」時間を自分自身で創り出せない。その点、学校に通っていない土・日
は私にとって「積み重ねる」時間がもてる時間だ。私は土・日になると部屋で
一週間におこったことを思い返して友達に手紙を書く。私にとって「積み重ね
る」時間というのは土・日、又、「手紙で手がみえん!!」(笑)といわんば
かりにたくさん手紙を書くことなのかもしれない。
 
 そう思うと人間には自分で孤独になって「流れる」時間を「積み重ねる」時
間が必要不可欠なのだ。しかし、最近は習い事、学校、仕事などでそういう「
流れる」時間を、「積み重ねる」時間を持つときが少ないない。なにかをして
いるということが人間にとっては大事であり、その方が効率も良いという考え
が世界中にあり、「積み重ねる」時間を削っているのだ。
 
 何かをすること、「流れる」時間も大切である。しかし、「積み重ねる」時
間を持てなくなると、人間は進んで行くことができないのではないか。「寒さ
にふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる。」という言葉があるように、自分
が経験してきたことを自己の中で「積み重ね」蓄積しないと、次の「流れる」
時間を満足に過ごせない。忙しい今の社会の中で「積み重ねる」時間をみつけ
出すのは難しいことかもしれない。しかし、それを行なうことが重要である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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