先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
LIKE
イチゴの広場
ペー吉うき中3
 詩の世界には素晴らしい比喩がある。使い方のうまい比喩は、自然と私たち
の心の中に残っていく。また、日常の会話の中でも比喩を使うと、同様に効果
的に働く。また、精神的なものに限らず、肉体的な技術を教える際にも、比喩
は大きな力をもっているのだ。
 
 比喩は詩の世界に多く使われる。だが、私達の身近な所の比喩というと、歌
ではないだろうか。例えば、B’zというアーティストがいる。彼らは活動が11
年目に入り、生存競争の激しい音楽業界の中で変わらぬヒットを飛ばし続けて
いる。最近のポッと出ては消えていく、おハデ系バンド(オカマ系バンドだっ
たか?厚化粧する男の集団)とは大違いである。そんなB’zのよさの一つは、
歌詞の中の比喩の使い方が上手いことである。「丁度風のない海のように退屈
な日々だった」というのは、Love Phantomという曲中の一節だ。これを「大
きな事件も起こらないために退屈な日々をすごしていた」という文章と比べる
と、インパクトがまったく違う。このように、比喩は文を印象づけるために非
常に有効な手段なのだ。
 
 ただ、比喩は斬新だからこそ印象に残る。使い古された比喩は、心にのこり
はせず、むしろ陳腐な表現となる。真夏の海水浴場は「足の踏み場もないほど
の人」、朝の電車は「芋を洗うような混雑」。これらの比喩は、あまりにも古
くから使われているために、逆に普通の文章よりさらに印象が薄くなってしま
っている。また、実際に「足の踏み場がな」かったり、「芋を洗」ったりする
ような体験をしたことのある人が少ないため、なんだかよくわからん表現で終
わってしまうのである。
 
 比喩というのは、文章に印象を残すために使う。そして、印象を深めるには
、斬新なものであることが第一だ。下手の書き物他人に似たり。比喩は、文章
を構成する成分として相当重要な位置にあり、うまく使われた比喩は美しいが
、逆に下手な比喩はどこまでも醜く、しかも見にくいことが多い。良い文章か
悪い文章かは、比喩の使い方で決まると言っても過言ではない。また、喩は一
般的なものの方がいいだろう。「鈍器によって頭蓋が損傷した際の論理的思考
に影響がでる確率と同じくらい」と言われても、一般人にはなにがなんだかさ
っぱりだ。下手な比喩ほど醜いものはない。我々は、コミュニケーションをよ
り取り易くするために、上手に比喩を使える生き方をするべきではないだろう
か。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ