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親子
アジサイの広場
はるるくあ小6
 私の母は、どちらかというと、だらしない人だ。小学生のころは、きちっと
していたのだと、いっているので、私は、父ににたようである。かえるのこは
かえるだなとよく思う。はっきりいって、にたくはなかったのだが、、、、、
、。
 
 早川家の日曜日は人並みではない。父は一日中部屋にこもり、スーパーファ
ミコン(そしてなぜか信長の野望)をやり、私と母は、塾のテストのあととい
うことで、遊びまわる。で、夕ご飯は、
 
 「今日は、吉〇屋の牛丼でいいわね!」
 
 ということになる。それか、
 
 「今日は一〇香でいいわね!」
 
 だ。適当すぎる。適当すぎる!どうにかならないものだろうか。いや、なら
ないであろう。もし、私が、
 
 「ねえ、ちゃんとやろうよ。」
 
 といったら、
 
 「じゃあ、あんたは。人のことをいう前に自分をなおしなさい。」
 
 といわれるのが目にみえているからだ。そこでいいかえせない自分が悲しい
。私もだらしないからだ。
 
 家は、みんな自分勝手だ。
 
 「今日の夕飯どうする。」(母)
 
 「あげなすとあげどうふ!」(私)
 
 「ラーメン!」(父)
 
 「家でさっぱりしたもの!」(母)
 
 「じゃ、夕飯抜きは。」(父)
 
 「おすしとろっか。」(母)
 
 「賛成。」(私・父)
 
 ある日の会話である。
 
 私は、このままでいいのかと思う。しかし、いままでで、うまくいったのだ
から、いいのだろう。親子というものは、にたもの同士、ゆるしあえる仲なの
ではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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