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大昔、この列島は
アジサイの広場
武照あよ高2
 「大学生の時彫刻の写真集を見ていて、丸太を荒々しく削り出した作品を見
つけたんだ。そして作者の略説をみて、そうだったのかと思ったね。」アイヌ
人彫刻家を父を持つ若者はそう言って笑った。子供の時に父とは分かれてほと
んど記憶になかったと言う。そしてアイヌ人の血を引くことを知らされずにき
たのだ。「でも、アイヌの血を引くことを知って俺は良かったと思うよ。その
時までは根がふわふわしたような状態で生きてきたような気がするんだ。」
 
 この言葉を聞いて私ははっとした。私の「原点」は一体なになのか。現代と
いう時代は「原点」を見失ってきた時代なのかもしれない。欧米の文化を模倣
し、それまでの文化を後進的なものとして見捨ててきた。しかしその中で、取
り入れた文化を原点とは見なせないでいる「ふわふわした状態」に我々はいる
のではなかろうか。子供の時に生活した訳ではない、しかし「トトロの森」や
童謡「ふるさと」にどこかなつかしさを覚えるのは日本人の原点の景色と無関
係ではないだろう。その民族には民族の原点があるのだ。我々は民族の原点を
大切にした社会を作っていかねばならないであろう。
 
 原点が失われてきた背景として敗戦後の自国否定がある。針は極端から極端
に振れた。戦時中の自国「崇拝」の反動が、戦後に日本は悪で国際化が正義と
いった考えとなって表れたのである。それに追い討ちをかけたのは工業化に伴
う合理化であろう。成立当時に明治政府が江戸文化を徹底的に破壊したのと同
様、我々は敗戦と共に多くの文化を破壊したはずである。
 
 それと同時に核家族化が「原点」を失ってきた一つの原因となっているよう
に思われる。小人数で転勤を繰り返す今の家族では、これまで知らず知らずの
うちに世代から世代へと伝わってきた原点の景色を知り、心に定着させる機会
が極端に減ってしまったであろう。
 
 確かに日本人の持つ、原点にこだわらないがゆえの砂利のような吸収性の良
さを見落としてはならない。外国からの文化を抵抗なく受け入れ、自分の文化
に合うように加工して定着させる。しかし、原点を我々がすべて捨ててきたわ
けではないことは確かである。鉄砲を輸入した時もとの銃身に唐草模様を入れ
た。もっと身近な所で言えば現在でも大抵の家には和室があるし、私の家の場
合、流行のウッドデッキが和風の庭の中に収まっている。端に追いやられつつ
あっても原点は我々の気付かない所で生きているのである。
 
 今年公開の映画「ホーホケキョ となりの山田君」の原作者は次のように書
いている。「この山田家は、現代になり家父長制が崩壊して、みんなが勝手気
ままに生きている平凡な家庭です。なにも古いものはすべて良いと言っている
のではありません。しかしこの映画を見て何となく家族が集まる山田家の「こ
たつ」を見直してもらえればと思います。」我々の原点探しは私探しであると
共に、我々探しなのかもしれない。
 
 白い雪をかぶっている遠景の山々を見ながら、アイヌ人の父を持つ若者は言
う。「俺が目をつぶってふるさとの景色を思い浮かべろといわれたら、こんな
景色が思い浮かぶんだろうね。この景色は俺の原点なんだ。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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