ユーモア |
エンジュ | の | 村 | の広場 |
慈子 | / | こち | 小6 |
先日、イギリス人が、ユーモアについて書いてある物を読んだら、こうあっ |
た。「私達、イギリス人は、・ユーモアのセンスと言う物には特別のプライド |
を持っているしまたそれについて、敏感である。ただ、ユーモアと言うのは論 |
理で解釈できる物ではなく、それを受信する感性の装置をそなえているかどう |
かなのだ。 |
数字なら数字、物理なら物理、こういう真面目な事と言う物は、一生懸命努 |
力すれば分かる。少なくとも分かるはずだ。しかし、ユーモアというものは、 |
ユーモラスと感じるか感じないかというセンスの問題になるわけだ。 |
ユーモアがあるかないかで言うと、ある方がいいが、この話のイギリス人と |
日本人とでは、まじめな日本人の方がいい。 |
私の家では、父はユーモアが全くなく、母が父に比べると、ユーモアがある |
方だ。 |
ユーモアがないのは別にいいが、全くないのは困る。私の家での、夕飯は、 |
父がいないと、にぎやかに、「わいわい。」と食べるが、父がいると、何も話 |
せずに、静かに食べる。それは、父がまじめすぎて、会話が通じないので、逆 |
に怖いからだ。普通の家では、父が明るくて、母が、意外と厳しいのだが.. |
..。 |
私の家は、その正反対なのだ。 |
やはり、イギリス人のように、日本人の、私の父のような人には、少しでも |
ユーモアがあった方が、生活しやすいのでは...。とはたしは思う。 |