科学が人間にもたらすものには |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
○○ | / | あよ | 高2 |
「遺伝子の研究はとても大切なことです。それはそれで進めて行けば良いと |
思います。」とある女性サイエンス・ライターは言う。彼女は若い時遺伝子の |
研究をしていたが、自ら原因不明の遺伝病に苦しみ、一時は生死の境をさまよ |
った。それが彼女の人生を変えた。彼女は今、病床で執筆活動を行っている。 |
しかし、と彼女は続ける「科学が科学技術を生み、それが人間の欲望に結びつ |
いた時、危険をはらむことがあります。その点だけはきを付けなければなりま |
せん。後の子孫が、して良かったと思えることを選ばねばならないと思います |
。」 |
盗聴法をあるジャーナリストは「副作用のある薬」と呼んだ。こうして見て |
みると我々のまわりにあるものは、ほとんどが「副作用のある薬」であると言 |
って良いだろう。私の家の周辺では「横浜環状道路建設反対」と書かれた看板 |
を多く見かける。しかしながらその多くは色が剥げ落ち、その住民運動はとっ |
くに消沈してしまったようである。私は図書館でこの高速道路建設が環境に与 |
える影響を予測した市役所の報告書を見つけた。数値が並んでいるが結論は、 |
「環境への悪影響はない。流通の上でとても利益になる」と言うものであった |
。市役所は薬と言う。住民は毒と言う。しかしながら「副作用のある薬」とい |
う実態を言える人がいないのである。現在、専門家と一般の人間を結び付ける |
、「王様は裸だ!」と叫ぶ少年が必要であろう。 |
これまで博物館は、ガラス越しに名前の付けられた標本をながめる、という |
形が一般的であった。この科学の「一方向性」が、専門家と一般の人間の橋渡 |
しをする人間の生まれない一つの原因となっていたように思われる。自然の重 |
要性を認識するためには「自然保護区」という手付かずの自然を作ることより |
も、必ずしも美しくはないが本物自然に触れ合うことが重要であろう。同様に |
、一般の人間も科学に対して働きかけられることが一般人の科学の認識にとっ |
て必要なのである。そういう意味で最近の、押したり、引いたり、触ったりと |
いった、働きかけて理解する展示は評価すべきであると思う。 |
科学に対する絶対的な信頼も、一般の人間と専門家の橋渡しを生み出しにく |
くしている原因となっているであろう。科学の問題は科学が解決するという我 |
々の信頼が、逆に科学を自分達が疑問を持つ対象では無くしてしまったのであ |
る。しかし環境問題にしろ、「科学が壊した地球は科学が直せば良い」いう「 |
保全」から「人間も環境の一部と言う立場で環境を改善する」という「保存」 |
へと代わってきたように、我々の絶対的な科学という観念を変えて行く必要が |
あるであろう。 |
たしかに、科学は一般の人にとっての「有用性」によって測られるべきもの |
ではない。科学はそれ自体が一つの目的なのである。しかし科学は科学技術と |
して我々の生活に大きく関係していることもまた事実である。「科学? それ |
は何ですか」とは言っていられない時代が来ているであろう。 |
「私が病気から立ち直った時、私しか出来ないことは何だろうと考えたので |
す。」病床で女性サイエンス・ライターは言う。「自分にしか出来ないこと」 |
それは「王様は裸だ!」と叫ぶ少年に他ならなかったのでである。 |