競争はよいか。 |
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さやか | / | あおべ | 高1 |
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隣人間でもめごとが生じたとき、直ちに裁判に持ち込まれることは少ない。 |
それは、弁護士は市民から遠い存在にあるからである。裁判は必ず一方を悪者 |
と決め付けてしまう結果になる。つまり、当事者間の話し合いによる解決が望 |
ましいのだ。しかし、現在の日本の社会というのは人間関係がかなり崩れてい |
るので、法や、なにか公的な解決の場に持ってゆくことも止むをえないのでは |
ないか。 |
隣人間のもめごとと一口に言っても、いろいろなパターンが考えられる。例 |
えば、隣の人に○○○万円かしたのに、まったく払ってくれない。などという |
ときには、裁判にかければ、隣の人が悪者なのは決まっている。金銭トラブル |
の場合は話し合いよりも裁判のほうがかなりスムーズに進むので裁判のほうが |
良いかもしれない。 |
しかし、もっと話が難しくなることが多数あるだろう。例えば、隣の人に子 |
供を預けていたのに、その自分の子供が事故で死んでしまったとする。その場 |
合、裁判に訴えて勝ったからと言って、子供がもどってくるわけでもなく、悲 |
しい気持ちが消えるわけでもない。又、訴えられた隣人も、お金を払いさえす |
れば良いのだから、とせいせいとした気持ちにはなれないだろう。裁判はどち |
らかが悪いというふうに決めるだけで、人間の気持ちまでも解決してくれるわ |
けではない。 |
隣人間のもめごとは、もめている相手が近くに住んでいるだけあって、かな |
り不快なものである。裁判でもめごとを解決することもできるし、話し合いで |
解決できることもある。しかし、もめごとの種類もたくさんあるのでその時々 |
で、裁判にもってゆくか、もって行かないかを決めれば良いのではないか。「 |
存在するものには、良いとか悪いとかを言う前に、すべてそれなりの理由があ |
る。」という言葉がある。これは悪いことだからと決め付け、すべてを裁判に |
もってゆくのではなくて |
、まず、よく考えることが必要だと思う。 |