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苺ぱふぇ
アジサイの広場
馬のしっぽはり中3
 日本人は絶えず新しさを求め続ける。その結果、胡蝶蘭をファレノリプシス
と言ったり、四季咲きをセンペルフロレンスと、日本語で言えばいいものを、
わざわざ外来語に置き換える傾向がある。しかし、一体こんなことをして誰が
得をするのだろうか。新奇さを求めることが一概に悪いとは言えないが、「バ
ラの花は、どんな名で呼ぼうと変わりなくにおう」というロミオの言葉を、改
めて思い起こす必要がある。私は、なにごとも中身を重視できるような人間に
なりたい。
 
 喫茶店に入ると、定員さんがメニューを持ってきてくれる。そのメニューの
デザート欄に注目してみよう。パフェのところには、ストロベリーパフェとか
、フルーツパフェとかいうふうに、平仮名ではなく、カタカナで書かれている
物が多い。それは、デザートに限らずハンバーグとかのメインディッシュが載
っている所にも、カタカナが多い。一見かっこいいと思うかもしれないが、日
本人は昔から平仮名と漢字に慣れ親しんできて、カタカナが入ってきたのは、
割と最近のことだ。これは、私の意見だが、ストロベリーパフェと言うより、
苺パフェといったほうが、瑞々しい気がする。フルーツパフェもそうだ。(し
かし、果物パフェと言ったら…笑)カタカナを使うことが悪い事ではないけれ
ど、なんか、乾ききっているように聞こえるのは私だけだろうか。平仮名や漢
字を使った方が、なんとなく安らぎを感じはしないだろうか。だから、そうい
った点では、私は今どこにでもあるような、ファミリーレストランよりも、ス
トロベリーパフェをイチゴパフェと書くような一見洒落たお店のほうが好きだ
 
 最近は、アメリカ的なことではなく、タイとかインドネシアなど、アジア諸
国の文化や食べ物、いわゆるアジアンテイストが、注目を集めている。洋服の
お店やアクセサリーが売っているお店などに行くと、まず、アジア的なものが
目に留まるようになった。これは、世界的なことではなく地方的なある意味特
殊な物に、世界の人の目が向くようになったからである。日本独自の植物を、
英語やギリシャ語で呼ぶようになると、このような日本独自のものを失い、日
本を誇りに思ったり、自分は日本人だという実感する場が少なくなるのではな
いだろうか。世界から注目を集めるのは独自のものを持った国なり、ものごと
なのだ。
 
 確かに新しいものを追い求める積極性は、素晴らしいと思う。しかし、「大
切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である」とあるように、大切な
のは、外見ではなく、中身の充実さではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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