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環境サミット
アジサイの広場
T.Oいう高3
 近年、世界中がしきりに環境保護をとなえているが、その割には大した対策
はたてられていない。各国首脳はイメージとしての自然にばかりとらわれすぎ
て、突拍子もないことを考えているのではないだろうか。例えば、人間と野生
動物が共存することなど到底無理な話であり、そのような光景が当たり前にな
ったら逆に恐ろしい限りである。人間の思い描いたような自然に捻じ曲げよう
とすることが道徳的に正しいことなのであろうか。
 
 単なる外面的な環境保護政策からは、他国から優れた評価を得ようという先
進国の魂胆が表れている。緑は豊富でも未知の動物が徘徊しているようなジャ
ングルの密林よりは、ほのかに自然の情緒があふれ出てくる静かな山里の方に
住みたいはずだから、一口に人間が住みやすいように自然を開発するといって
も悪い点ばかりではない。要は人間と自然の調和であるのに、それを忘れてた
だ行き当たりばったりの環境保護を呼びかけているに過ぎないのが現状である
 
 マスメディアを通して送られる映像や情報には、見る人がこういうものが送
られてくるだろうという期待に沿った物が多い。そして、その期待を裏切ると
苦情や批判の投書を出すといったことがよく見うけられるが、思った通りの、
あるいは見たままのことを伝えるのが悪いということなど何もない。だから、
開発を行う際に、なにも人間共通の自然のイメージに合わせる必要など全くな
い。たとえ見た目が不自然、または不便なように見えても「人間に都合のよい
」自然であってよいのである。
 
 あまりに乱暴な自然開発は言うまでもなく控えるべきであり、実状は現在の
地球環境は一刻の猶予も無いほど危機に瀕しており、早急な保護が必要である
。しかし、それだからといって現在の生活水準を下げてまで想像上の自然を追
い求めるのも、それこそ不自然な話である。少し残酷な言い方かもしれないが
、自然に挑んできたからこそ人間は繁栄したのであり、この先もやむを得ない
場合もあるだろうが、その中で人間が溶け込めるような自然に作りかえること
が求められていることなのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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