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後世からふりかえって
アジサイの広場
T.Oいう高3
 後世から振り返って、「オウム」事件は犯罪史上の一大事件とされるか、も
しくは単なる凶悪事件の一部としか扱われないのか。少なくとも、この教団に
は宗教独自の芸術性やカリスマに欠けていることだけは言えるのだが、オウム
の人間だけに限らず現代の社会人全体が、頂点ばかり見つめる自己実現に追わ
れているように見える。努力次第で自分の運命をいくらでも変えられる面で現
代人は自由だが、その反面顔の見えない他人と比較する機会が増え精神的に疲
れる人間が後を絶たなくなるのも事実である。
 
 偏差値は、それこそ顔も実力も知らない他人と比較した結果をまざまざと見
せつける、典型的な「自己実現」の対象である。そこで自分の思ったとおりの
結果が出ないと、大抵の人は自分の努力が足りなかっただけだと自分で思い込
んだり他人からも責め立てられる。
 
 このような社会の歪みが生じたのも、人々の心に成功者への深い妬みや焦り
によるものである。だからこそ社会として他人との競争を離れ、自分自身の満
足を追求した自己「表現」を推奨するべきなのである。表現は、よほど方法に
問題が無い限りその魅力を感じるような人がいれば、一般の尺度に計られるこ
となく成立できるのである。そして、自分の作り出した世界で存在を認められ
ることで、人は「自分」を見失うことはないのである。
 
 周囲に刺激されて自己を磨く気力がおきることもあるから、「自己実現」は
一種の向上心の表われだとも言える。しかし、度が過ぎるとストレスに直接結
びついてしまい挙げ句の果てには、人生に疲れたなどという結末になってしま
うことがある。この世界自体が、ほとんど勝負によって成り立っている雰囲気
が立ち込めているから、いっそのこと勝負とは関係の無い自分だけの世界へ浸
ってみるのも良いかもしれない。いずれにしろ自分の存在をアピール出来る場
所を持つことが必要なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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