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「癒し」は本当に私達の「こやし」になるか?
アジサイの広場
アツコとれ大1
「癒し」は本当に私達の「こやし」になるか?         矢崎 温子
 
  ここ一、二年、「癒し」とか「ヒーリング」というブームが広がっている
。それはアロマテラピーやお香といった香りによる効果や、ハーブ等の植物の
栽培など、何らかのものを通して自らの心を元気付けようとするものである。
実際私は「癒して欲しい」という消極性、かつ物に頼って甘えているのではな
いかということが気になってそのブームには乗れていない。それでも、例えば
、「ひだまりの詩」で大ヒットしたル・クプルは自称「ヒーリング音楽」(癒
しの音楽)であるし、その言葉自体、商売文句として店頭でもよく目にするの
である。
 
  人々が癒されたいと思うことには、それなりの理由があるのだろう。スト
レスや人間関係の希薄化にあるのではないかと言われている。だが、基本的に
人がかかえる日常的なストレス(精神的負担)、プレッシャー(精神的、心理
的圧迫)は人間にとって不可欠なもので、なければ死ぬと言われている。さら
にそれらはどんな時代にもあるもので、今のこの時代が特別厳しいからという
ことではないはずだと思う。それでもなぜ人々は「癒し」=精神的修復、安心
感、安定感をこれほどまで求めるのか。
 
  日本はバブル崩壊後、大人も子供も、社会全体がこれから先の見通しを失
ってしまった。それだけでなく、価値観が揺らぎ、人々が支えられてきたこれ
までの秩序は通用しなくなっている。例えば、家族は本来一つの社会であり、
「帰る場所」でもある。だが、戦後の核家族化、そして更に今ではその家族の
中の関係が希薄化している。両親の関係にしても親子関係にしても、接触が薄
くなれば安心感は得られなくなってしまうし、育つべき精神的強さも得られな
いままになってしまう。精神的な忍耐力がなければ、超えられる問題も超える
ことができない。逃げだしたいと思えば逃げてしまう。中高生の間では最近数
日間友達の家等を転々とする「プチ家出」が流行っているという。携帯電話が
あるので連絡はとれるし、コンビニエンスストアで二十四時間食べ物は手に入
る。それらの多くの利便さ、機械技術の高性能は人と人を離しつつあるようだ
 
  一人一人が一つ一つ克服していき、精神的に強くなろうとすることに真の
解決があるのであり、表面的な「癒し」などはなんの助けにもならないと私は
思う。精神的に強くなるためには、精神的なことだけを気にするよりも、まず
自分の身体をうまくコントロールできるようになることも大切ではないだろう
か。人には必ず何かを乗り越えて、生きる力がある。私達はその解決の手段を
日本の「道」の世界に見出すこともできるのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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