ル-ル |
イチゴ | の | 滝 | の広場 |
海犬 | / | うせ | 中3 |
幼稚園では、お歌とお遊戯ばかりやっていたが、小学校に入ると、音楽の時 |
間も体育の特別授業もみんな音と動作をきっちり揃えなければならないのでつ |
まらなかった。幼稚園では、みんな同じようにやりながらもどことなくみんな |
違っていた。それが他人の身体に起こっていることを生き生きと感じる練習だ |
った。身体に想像力を備えることで、共存の条件となるものを育んできたのだ |
。 |
夏休みの講習の時「お昼は、外で食べないで前もって買って教室で食べなさ |
い」といわれ、私達は嫌だなあと思いながらもその忠告にしたがった。私の好 |
きな国語の先生の授業が始まった時、突然先生が「何で、外で御飯を食べては |
いけないか分かるやつはいるか」と聞いたが、私も他の人も分からなかったの |
で下を向いていた。すると先生は語り始めた。「自分が納得行かない規則をそ |
のままにしていいのか、それぐらい自分が納得いくまでその規則を言った先生 |
に追求しなければ、人の言い成りばかりになって自分の意見出せなくなってし |
まうよ」といわれた。 |
確かにそうだなと私は思った。悪く言えば、小学校から先生の言いなりにな |
っていた気がした。確かに、社会での「あたりまえ」を私達に身に付けるため |
に先生はいろいろと規則を作りおしえて身に付けてくれたが、教えられる身に |
なっては、なぜそのようにしなくては行けないのかと疑問だらけだが、次から |
次へと覚えるものが多く、しかも先生も忙しそうで対応もでいないだろうとこ |
ちらなりに考えて「これは、こういうモノなんだ」と決め付けてしまったのがは |
じめで今までそう過ごしてきた。 |
社会の規則というのは、相手を思いやる心が創り出した常識で、相手を思っ |
てあげる心がない人はいらないル-ルである。しかし、相手を思いやる心を持 |
つ子供を親は願うから早くからその心を養うために小学校から子供にしつけて |
いるが、それが、反対に幼稚園と小学校で習うギャップの大きさに表れてしま |
うのだろう。 |