| 人生を満喫するために |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| りさ | / | あいす | 中3 |
| よく、ふと幼稚園だった頃の私を思い出す時がある。今思うと幼稚園では遊 |
| んでばかりいて楽だっように思えるがが、実際幼稚園ではいろいろなことを学 |
| び身に付けた、人生の中でも大切な役割を果たしている所なのだ。幼稚園では |
| 歌やお遊戯をして毎日を過ごしていた。この当時はただ楽しいからという理由 |
| で遊んでいたと思う。しかし、みんなで何かをやるということは、相手の幸福 |
| を知るとううことにつながり、人生にのなかで一番大切な、生きる喜びをあた |
| えてくれる。 |
| 私の行っていた幼稚園では、みんなで踊りながら歌うということを行なって |
| いた。今、同じ事をやれと言われたら恥ずかしくて出来ないが、その当時は喜 |
| んで一生懸命踊っていた気がする。誰も恥ずかしがっていた人はいなかった。 |
| もし、今生と死との間際に立っていたとしたら学校で優秀な成績をとって喜ん |
| だことよりも、幼稚園での楽しかったお遊戯を思い出すだろう。 |
| 赤ちゃんのころ、両親から愛情をこめられて育った子供が小学校にあがった |
| とたん、両親の関心が兄弟にむいてしまい、笑えなくなってしまった。小学校 |
| でもいじめられるようになり、不登校にもなった。しかし、祖母と祖父の家に |
| あずけてもらってからは、愛情につつまれていたため、もとの明るい子供にも |
| どった、という話がある。どんなに勉強のできる頭の良い子だとしても、他人 |
| からの愛情がないとその人は生きる気力をなくしてしまう。どんなに勉強嫌い |
| の子がいたとしても、明るい心をもって過ごしていれば、他人から好かれ、人 |
| 生に満足することができる。毎日毎日有意義に過ごせるだろう。生きていて、 |
| 楽しいと思える人は輝いているものだ。そのような人になるためには、やはり |
| 小さい頃からたくさんの人と過ごし、幸福を味わい、他人にも分けてあげると |
| いうことを学ばなければならない。勉強をしているだけでは、人生への喜びは |
| 味わえないのである。 |
| 確かに、小学校からの勉強のような知識をつめこむという勉強も必要だ。知 |
| 識や技術をつめこんでおけば、生活上助かることがたくさんある。しかし、生 |
| 活上困ったことがたくさん起こったとしても、生きる気力をなくして、自殺し |
| ようとしている人の心境に比べれば、明るくていきいきとしたものだ。 |
| 「人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのである」とい |
| うように、人間は勉強し知識をつむために生きているのではない。楽しく生き |
| るという目標があるから、知識をつむのであって、ただたんに知識をつむだけ |
| では、人生は全く楽しくはないのである。 |