知識の生産過程が |
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知識の生産過程が |
磯野久美子 |
知識は、生産される過程は人間の主観的内面の世界で行われるが、その一方 |
その中に客観的とりわけ社会的生産過程が入り込んでくる。しかし、このよう |
な二重性は情報にはない。情報は人の内面世界において蓄積されたり、進歩し |
ないからである。これから21世紀に向かって情報インストラクチュアの建設 |
が進んで行くが、それは知識社会化の道具となることはあっても、知識の生産 |
そのものを行うということはないのではないか。これから育つ世代は、情報に |
は詳しいがものを考えない人種にらないことに気をつけねばならない。 |
現代はいわゆる「情報化社会」と呼ばれる状況にある。ありとあらゆる情報 |
がありとあらゆるメディアを通じて氾濫し、それの中で人々は日々生活してい |
る。私も情報と知識は別物だと思っている。情報は単に私達の上を通り過ぎて |
いく事実であるのに対して、知識はその人個人が持つ財産だからである。日々 |
溢れ出るこの膨大な量の情報の中で生きて行くには、最新の情報を手に入れて |
いくことも大切なことかもしれないが、情報に流され過ぎてしまうことも危険 |
なことである。そのようにならないためにはどうすればいいのか。方法は二つ |
ある。 |
まず一つは、情報によって自分自身で形成する「知識」を多く持つことであ |
る。これはテレビ番組で見た話なのだが、数年前、当時は有名な話だったらし |
いのだが、銀行の貸付騒動という事件があったそうだ。これは女子高生の何気 |
ない会話から噂が一気に広まり、デマが膨れ上がって、それを聞いた人々が銀 |
行に集まって起きた大騒動である。結局この噂、つまり情報は全くの嘘だった |
ということが後で分かったのであるが、このようなデマに動かされた人が一つ |
の巨大銀行をつぶしてしまうということも起こりかねない。そのような事件の |
日、たった一人だけそのデマを信じずに預金をした人がいた。その人は常日頃 |
からこのような情報を敏感にキャッチし、その情報から自分なりの意見をもっ |
ていたというのである。このように、自分の心の中にきちんとした知識を持っ |
ていれば、不確実な情報の中から知識と照合した正しいと思われる情報、自分 |
に必要だと思われる情報だけをピックアップすることができるのである。情報 |
に飛びついてはそれを受け流していくのではなく、そこから知識を作り出して |
いくことによって情報に翻弄されることを防ぐことができるのである。 |
二つめの方法は、偏った情報ばかりに目を向けるのではなく、広い視野で物 |
事を見ていくということである。これは一見ひとつめの方法と全く違う方法の |
ように思える。というのは、ひとつめの方法は情報の中から自分に必要な物を |
選び出すというやり方なのに対し、この方法はたくさんの情報を取り込んだ方 |
が良いというやり方だからである。しかし、これは結局同じような考え方なの |
だ。広く情報を集めるというのは、そうすれば本当に信頼できる場所からの情 |
報を得ることもでき、そういうふうに情報を自分の中に取り込んでおけば、結 |
局そこから自分で本当に正しい情報を選ぶ目を養うことができるからである。 |
こんにちは「世界が情報化社会になって小さくなった」と言われる時代であ |
る。これは大変便利なことであり、そのおかげで世界で助け合うこともでき、 |
興味深い研究なども知ることができるようになったのであるが、それとともに |
インターネットによる悪質な犯罪や、判断のできない子供に情報が出回りすぎ |
ていると言った問題も生じている。情報は「受け取らなければいけないもの」 |
ではなく、あくまで受け取るか受け取らないかは個人の自由である。というこ |
とは、その情報から身を守るのも個人でしかないということである。「ことご |
とく書物を信ずれば、書物を読まないことと同じである」という言葉もあるよ |
うに、情報もことごとく信じていたのでは、自分にとって利益にならないばか |
りでなく、身をも滅ぼすことになりかねない。これからの時代を生きていく私 |
達にとって、「正しい情報を選ぶ力」というのは必要不可欠な物なのかも知れ |
ない。 |