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手鏡と望遠鏡
アジサイの広場
ペー吉うき中3
 最近日本では、草花の名前が急速に外来語に置きかえられてきている。気候
の関係で植物の種類が豊富な日本の草花の名には、美しく味があるものが多い
のだが、ヨーロッパでは、やはり気候の関係で植物の種類が少ないため、固有
の植物名というものが乏しかった。そこで、新たな植物に名をつける際に、学
術的なややこしい名前を使わなければならなかった。新しいものを取り入れる
日本人の積極性は評価するが、このような行き過ぎた外来語の流行はやめてほ
しいものだ。
 
 私は園芸に興味はないが、日本語の美しさというものは理解できる。これは
名前だけでなく、他の様々なことにも言える。例えば、髪の色。最近街を歩く
と、金髪や茶髪、銀髪に赤髪や紫髪といった日本人をよく見る。日本人には黒
髪の美しさがあるのに、欧米の金や茶の髪に憧れているのだ。しかも、顔の彫
りや目の色や肌の色といったこともあるため、あまり似合っているとは言い難
い。欧米人が醜いと言っているわけではない。日本人には、日本人の美しさが
あるのだから、それを無理に変えることはないだろうと言いたいのだ。いたず
らに髪は傷められていき、日本人に似合う日本人の艶やかな黒髪は失われてい
く。
 
 ことばはこの影響が顕著である。次々と出される歌はタイトルや詞の中に必
ずと言っていいほど英語が含まれ、次々と出される商品は名前に英語が使われ
る。日本のトップアーティストであるB'zは、まさに外国かぶれの典型とも言
える。曲は外国の有名アーティストを参考にし、歌詞はまず全て英語で書いて
いくのだ。そして、出来あがった歌はところどころ英語と日本語が入り交じっ
たものになる。それはそれで美しくはあるのだが、日本語ならもっと美しい言
葉があるのにと思うこともしばしばである。
 
 我々日本人は、もっと日本語の、日本の美しさを自覚するべきではないだろ
うか。確かに、以前日本は外国を追う立場であった。文明では日本は遅れてお
り、追いつくために外国を参考にする必要があった。しかし、だからといって
文化的な面まで外国を追いかけてどうするのだろうか。日本には日本の、外国
には外国の美しさがある。皆それぞれに美しい。なのに、中途半端に外国を追
いかけても、結局中途半端な美しさしか残らないだろう。
 
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 「夕食に誘った女の 笑顔が下品で酔いばかりまわった
 
 身振り手振りが大袈裟で 東洋人の顔して西洋人のフリしてる」</font></i
>
 
 Mr.children「光の射す方へ」だ。大袈裟に西洋人を装わなくても、東洋人
は美しい。我々は、あまり外国に目を奪われすぎず、もっと日本人であること
を見つめて生きるべきではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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