大人になって |
アジサイ | の | 道 | の広場 |
さやか | / | あおべ | 高1 |
大人になるとあまり「ふしぎ」と感じることがなくなってくる。しかし子供 |
は自分なりに「ふしぎ」な事に対して自分なりの説明を考えつく。そしてその |
説明は物語のようになっている。人類は言葉を用い始めた最初から物語ること |
をはじめた。しかし、物語ではしばらく納得できるがしだいに都合の悪いこと |
が出てくる。それでなるべく人間の内的世界をかかわらせない方が正確になる |
ことに人間がだんだん気がつきはじめた。その傾向の最もたるものとして「自 |
然科学」が生まれてくる。近代人は「神話」を嫌い、自然科学によって世界を |
見ることに心をつくしすぎた。しかし神話をまったく放棄すると、自分の心の |
なかのことや、自分と世界との関わりが無視されたことになる。 |
確かに今は、化学、科学、の時代である。科学技術が進んでいるので今まで |
分からなかったこともすべて理屈で理解できるようになる。そのおかげでたく |
さんの人が助かったり、農家は効率よく仕事が出来たりする。しかし、それに |
かたよりすぎているのはどうだろうか。人間が「ふしぎ」の答えを物語のよう |
にするのはもともと人間本来がもっている重みからである。それを軽視するこ |
とは人間を物のように扱っているということである。そうすると世界はつまら |
ないものになってゆくのではないか。私は科学が好きではない。人間の血は赤 |
血球と白血球と血小板と…、でできているといわれても実感できないし、それ |
よりももっと人間と人間との関わり方とかを学んだ方がよっぽど為になると思 |
ってしまう。また、人間は何から出来ているのかを学んでいると人間は細胞に |
生かされているような、物のような物質に思えてきてしまい、人間の温かみが |
かんじられなくなってしまうのだ。もちろんそう考えない人もたくさんいると |
思うが、科学を重視してしまうことは人間味をすこしづつ失っていることだと |
思う。 |
しかし、人間が作る物語のようなものばかりで「ふしぎ」を理解していると |
、人間は進歩してゆかないのではないか。今、私達が病気になってもたいてい |
の病気を治すことが出来るのは科学が進歩していったおかげである。物語ばか |
りを追っているのではなく、科学にも目をむけて進歩させることが必要である |
。 |
科学の世界というのはすべてがきちっと判明する。人間の世界というのは人 |
間のあらゆる感情と個々の思想が関わってきて複雑である。どちらが重要であ |
るかということは一概には言えない。「辞書のような人間になることではなく |
辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という言葉 |
があるようにどちらに傾くこともなく、うまく両方を使いこなせるのが人間の |
すばらしい点であると思う。 |