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大切なこと
アジサイの広場
馬のしっぽはり中3
 ある物事に興味を持ち、それを研究しようとするとき、まず誰しもが着目す
るのはその形態や振る舞い、つまり、見た目である。しかし、必要なことは見
た目、博物的なことではなく、ある物事・現象の形態や振る舞いの奥にひそむ
原理を追求することである。
 
 今まで私の学校は、当たり前のこと以外は、すべて生徒一人一人の判断で良
い悪いを区別する。という校則だった。しかし、学生らしさ、私達の学校のイ
メージがあまりにも崩れはじめたらしいので、学校は、ルーズソックスを禁止
し、スカート丈も最低膝が見えるくらいという規定が出来た。最初私はこれに
ついて納得出来なかった。私は、人は見かけではないと思っていた。(今でも
これは変わりないが)
 
 ルーズソックスを履くこと・スカート丈を短くしすぎることだけで、生徒が
学校に対して緊張感を持っていないと決めつけることは出来ないと考えていた
。しかし、つい最近私の家の庭を綺麗にしてくださった人と話しをしていて、
人は中身だけではないと思った。ある団体を良いものか悪いものか判断する時
、人間は最初外見で判断する。髪の毛が整っているか、服装がしっかりしてい
るか、言葉づかいが丁寧かどうかなど、取り上げてみればきりがない。しかし
、だんだんとその人のことを知っていけば、多少身なりが変でも、言葉づかい
が悪くても、それも別に対して気に留めなくなる。その人と話しをしていて、
私は少し分かった気がする。日本の中には、様々な高校生がいる。みんながみ
んな、援助交際をしていたり、髪を染めたりやたらとお金を持っているわけで
はない。しかし、一部の高校生が援助をしたり、やたらといろいろなものを買
っているから、世間の人達は高校生と言うのは、援助をしたり、やたらと髪を
染めたりしていると思ってしまう人達がいるのだ。ある人の行為で、そのもの
全体のあり方が決まってしまうのだ。それと同じように、私たちの学校もルー
ズソックスを履く人・スカートを短くする人が目立ち、中身も大切だが、やは
り外見も大切だと思ったのだろう。それを知った時、私はやっと納得すること
が出来た。本質と言うものが分かった気がする。
 
 芸能人と言うのは、なにかあると新聞やテレビに過剰に報道される。たまた
ま会ったから一緒にご飯を食べただけでも、それを写真に取られれば、すぐに
「熱愛」とか「密会」と書かれてしまう。そして、マスコミに朝から晩まで追
いかけられてしまう。そして、その情報を知る私たちは本質を知らずに情報を
信じてしまう。本質を知らずに、現象だけで判断する、博物的な考え方だ。
 
 確かに、見た目、現象と言うものも大切かもしれない。しかし、「真に良い
ことは、新聞に大きな騒ぎを起こすことなく、小さく始まる」と言う名言のよ
うに、本質的なことは、大きな事ではなく小さな事で、それは、なかなか気付
くことが出来ないものだ。だからこそ、私達は現象の捕われず、本質的なもの
にも目を向ける必要があるのではないだろうか。奥にひそむ原理を追求できる
な人間に私はなりたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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