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日本人に共通の文化的概念は?
アジサイの広場
吉見こと大3
 日本も「国際化」の波に洗われ、いろいろな人が外国から来るようになった
。当然、日本人種も多様化する。国家権力、国籍の面でも様々な人達が日本国
籍を取得するから、白人の日本人、黒人の日本人等も出てくる。そうなると法
律で日本人という「枠組み」でくくるのは難しくなる。そこで、これからは日
本民族のアイデンティティーに繋がる文化的概念が非常に重んじられるように
なる。イギリス人の文化的概念はシェークスピアに代表される「英文学」であ
る。このように考えると日本人の文化的概念は「日本文学」となる。
 
 だが日本の文化的概念を「日本文学」とするのは難しい面がある。私は中学
校と高校で古文を学んだ。一言で感想を述べると、面白くなかった。勉強して
も、実用的ではない。なおかつ口語体、文語体、古語、漢文が入り交じってい
るため、理解するのは困難を極める。これが私たちの日本文学を学ぼうとする
意欲を著しく減退させる。このような状況では到底「日本文学」は私たち日本
人の共通の文化的概念にはならない。
 
 このような背景を踏まえ、作家の渡部昇一は「試験に出る文学作品を予告し
て出題してはどうか」と言っている。大学入試に限らず、高校入試、場合によ
っては中学入試に取り入れる。そうすれば日本人の間に、きちんとした言語文
学が身につき「日本文学」が日本人の共通の文化的概念となる、という意見だ
 
 二十一世紀は国境がなくなり、世界が一つになる。そうなった時に日本人に
共通の文化的概念は必ず必要になる。だが「日本文学」を日本人の共通の文化
的概念にするのは多くの時間が必要になる。私は何も「日本文学」に固執しな
くても良いと思う。それよりも「桃太郎」や「金太郎」「浦島太郎」「猿蟹合
戦」のような日本独特の「童話」を日本人共通の文化的概念にしてはどうか。
親しみやすいし、子供の教育にもなる。西欧人は聖書を持ち歩く。二十一世紀
の日本人は「童話」を持ち歩くかもしれない。(今回は難しかった、、)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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