真似することは。 |
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ひまわり | / | あなつ | 中3 |
三十年程前の日本の工業製品は、まだ性能的にも機能的にもかなりお粗末で |
、欧米に対抗できるのは価格だけだといわれていた。それが今では「メイド・ |
イン・ジャパン」といえば、性能のよさ、信頼性の高さの代名詞にさえなって |
いる。この驚異的な速さのキャッチアップを可能にしてきた自らの潜在能力に |
誇りをもっていない。それは欧米から「ものまね上手」という思いもよらぬ批 |
判を浴びつずけてきたからである。しかし、真似る=学ぶ姿勢こそが独創性を |
発揮するのだから、過度のコンプレックスを抱く必要は全くないのである。 |
真似をすることは、なんだか良い印象がわかない。しかし、自分を高めるた |
めにはなくてはならないことだと思う。私はよく、スキーがうまい人のすぐ後 |
ろについてすべる。ひざの曲げ方など、いろいろわかり、その場でまねっこす |
る。とてもよい勉強になる。ほかにも、勉強のよくできる人の勉強の仕方をま |
ねてみたり野菜の切り方をまねしたりする。 |
日本も同じように欧米の知識などを真似した。しかし批判されたのだ。 |
確かに真似ばかりする事は自分独特の何か、がないように思われる。他人の |
技術、知識を盗むのだから、それはそのとうりかもしれない。しかし自分独特 |
の何かを手に入れるには、基礎となるものが必要なのだとおもう。スキーでも |
、もしゲレンデにひとりっきりですべったら、きっともとになる技術がなくて |
、まったく上達しないと思う。そのもととなるものをしっかりと身につければ |
、自然と、ああここでこうすればいいんだああすればいいんだときずいてきて |
独特のものが得られるのだと思う。 |
だから日本の車はこんなにも発達したのだとおもう。こんな評価されている |
のは日本の努力の結果で、一生懸命真似したからこそ日本独自の物が誕生した |
のだ。このことはけっこう誇りにもてることだと思った。 |