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物真似は良くないと言われ続けて
ウグイスの広場
太公望うの中3
 当時の日本の工業製品は、まだ性能的にも機能的にもかなりお粗末で、欧米
に対抗できるのは価格だけといわれていた時代である。
 
 それが、今では「メイド・イン・ジャパン」といえば、性能の良さ、信頼性
の高さの代名詞にさえなっている。しかし、歴史を少しひもといてみると分か
ることだが、かつての日本人は、「もの真似」に対してそれほどコンプレック
スを抱いてはいなかった。例えば、誰かが何か新しい技術をマスターすると、
みんなが真似をした。教える際も手取り足取りではなく、「習うよりは慣れろ
」、あるいは「見て盗め」と突き放して技術を覚えさせた。つまり、学ぶとい
うことは、徹底して「真似る」ことだったのである。大切なことは、時代的発
展段階を織り込んで考えてみることである。
 
 私たち人間は、何か真似をすると相手から「真似するな」と言われる。だか
ら日本も外国から「真似するな」と言われる。日本人は、真似するのがうまい
と言われる。誉められているような、馬鹿にされているような感じである。た
とえば、小学校四年のときうちのクラスは缶のリサイクルをしていた。道なの
で捨てられているアルミ缶などを学校に持って行き袋に入れて一週間ごとに駅
前のダイエーなどに持っていく。そこで得たお金を寄付などに使っていた。そ
のうちほかのクラスもやるようになった。そうするとクラスの友達が「俺達が
最初に始めたのにまねしやがって」と言っていた。それに対して担任の先生は
「良いことをまねすることは良いことよ」と言った。この時始めて良いことを
まねすることは良いことだと分かった。
 
 社会面で考えると良く外国から日本は真似するのが上手いというふうに行っ
ていた。それを聞くとまるで日本人は自分から物を作ろうとしない、独創性が
ないと言っている様なものである。しかし、第二次世界大戦後日本は赤ん坊の
様なもので自分から何かを作ると言うのは非常に難しいことだった。だから先
進国の技術を真似していった。日本は、外国が言うような真似事だけやるよう
な国ではない。日本の素晴らしい所は、外国から新しい技術を取り入れそれを
さらに昇華させ新しいものを作ることである。そのおかげで日本は、一気に経
済大国になった。
 
 日本人は、外国に負けない素晴らしい技術を持っている。「習うより慣れろ
」と言う言葉もあるように物真似をして基礎を固めてこそ新しいものへ挑戦が
できる。理屈だけで理想を語るのは良くない。またも物真似が批判されるよう
なことがあってはならないと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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