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 情報、知識、知恵、目的
アジサイの広場
拓馬ねき中2
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 ただ新聞やテレビの情報を右から左へ流す人がいる。また、それらの情報を
自分の知識としてストックする人がいる。そして、自分の人生経験から、知恵
を導き出し生きていく人がいる。この中で人間的に魅力があるのは、無論、三
番目の知恵人である。その人から知恵の言葉を聞いた時我々ははっとする。故
に情報、知識、知恵のなかで、一生涯心に残る言葉というのは、知恵のことば
なのである。
 
 当然、情報というもが不必要というわけではない。その証拠に、今日の情報
伝達方法の目覚しい進化によって人類は急激に進化してきた。手紙によって確
実性が、電話によってさらに早さが、パソ通やインターネットなどで、今度は
多さが得られるようになった。人類の進化は、情報の進化のあってこそなので
ある。だが、情報はあくまで情報、それらを的確に見極める力が必要不可欠な
のである。前途したように、情報を右から左へ流しているだけであったら、単
なる情報家であり、自分の人生になんら進歩を見出せない。だから、情報その
ものだけがあっても意味がないのである。知識にも同じようなことが言える。
 
 かといって、知恵を意識しすぎてもだめである。知恵というものは、自分の
人生経験から導き出すものである。それを意識的に引きずり出すことは無理で
ある。それに、古い知恵というものは、時として、行く手を阻むこともある。
例えば、山に生きていた人が都会にきたらどうなるか(多少大げさではあるが
)。山にいた時の「第六感」は全く意味を持たない。都会という時間と法に縛
られた世界では、感覚を研ぎ澄ます必要もなく、それどころか、その知恵は、
障害となる。だから、知恵というものは、情報と知識によって今を的確に見極
めることで、効力を発揮するのだ。
 
 この両方があってこそ、初めて知恵を自分の人生に生かすことが可能になる
。知恵を自分の人生に取り入れることは、非常にすばらしいことである。自分
の考えた、他人からの受け売りでない自分だけの考えや、行動。これは、それ
だけで価値を持っている。それを人生にジャンクション(融合、結合)すれば
、必ずよくなるはずである。知恵という手段で、人生を豊かにしよう、という
ことである。そして、知識も手段になる。知恵と知識という二つの手段がある
ということである。知識も知恵も手段である以上、目的にするには適していな
い。あくまで目的に達するための手段なのだ。だから、がむしゃらに勉強して
知識を得て、それで満足していては、せっかくの知識がだいなしである。「知
識がはしごを作ったのではなく、二階に上がりたいという熱意がはしごを作っ
たのだ」とは、昔の人はいいことを言ったものである。知識があるから、はし
ごを作った。という、手段が先行しているのではなく、二階に行きたいから、
はしごを作る。はしごを作りたいから、知識を養う、というように、目的が先
立って初めて、手段を見出せるのだ。ただ知っていることや知ったことを並べ
るのではなく、それらをどのように知り、また、どのように役に立たせるかと
いう目的のもとに、情報を頭に入れ、知識を考えて、知恵を導き出し、人生の
役に立たせていこう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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