最近どうよ? |
アジサイ | の | 谷 | の広場 |
幸子 | / | あさも | 中2 |
交話機能というのは、簡単に言えば、ことばがもつ、人と人の気持ちを結びつ |
ける作用を指すものである。あいさつは、人が他人と出会ったときに必ず心の |
中に生まれる警戒、不安、恐れなどの気持ちを和らげる役割を持っている。( |
ぜんぜん知らない人が「こんばんは」っていってきたらそれはそれでこわいけ |
ど・・・)多くの人が用 |
件に入る前におしゃべりなどをするのも、対話者どうしの一体感や帰属意識 |
を高める潤滑油としての働きなのである。 |
確かに無駄は大切である。「大事な用があるから、6時に駅前の喫茶店に来 |
て」などと呼び出されたら、呼び出されたほうは気張ってしまい、「な・・・ |
なに・・・?」と、どもってしまう。そんな緊張をほぐすのが、必殺“余計な |
おしゃべり”である。「最近どうよ?」などと聞き、「まあまあだね」などと |
話す・・・(じじくさな・・・)。そして、話し上手な人だと、だんだん本題 |
に近づけていく。そしてさらりと本題に入った頃には相手も緊張がほぐれてい |
るという寸法だ。友達が男子に告白 |
しているのを影でこっそり見守ってあげたことがある(世間様一般では確か |
デバガメという。もしくは盗み見。もしくは立ち聞き)が、やっぱり“余計な |
おしゃべり”から入っていた。(しかもふられてた。くすっ。) |
しかし、“余計なおしゃべり”だけではいけない。学校の授業中に“余計な |
おしゃべり”しかしないと、テストで幻の一桁をとってしまうかもしれない( |
もっとも、家 |
でしっかりやれば何ら問題はないが)。また、別の友達が、『バレンタイン |
で、本命チョコを渡そうとして、“余計なおしゃべり”しかできずに、渡し忘 |
れた』と言うお約束な出来事を涙ながらに語られたという経験がある。(かな |
りありがちだけどかわいそう |
だった。) |
だから、”余計なおしゃべり”をする場合は、だんだん本題に近づけていく |
ことが必要である。「家とは、外から見るためのものではなく、中で住むため |
のものである。」というが、おしゃべりも、ただただむだにすごすためだけに |
使うのではなく、本題に近づけていくためにも使えるのである。 |