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本を狩る者
アジサイ の広場
吉見 こと 大3
 イギリス銀行協会が、「イギリスで銀行の頭取(トップ)になっている人は
、どんな人物なのか」という調査を行ったところ、シェークスピアをこよなく
愛している人が圧倒的に多い、という結果が出たそうだ。普通ならば計量経済
学や財政論のような難しい専門書を読むような人を想像するだろう。シェーク
スピアの作品は、人間の善し悪しを分かった上で人間を肯定的に見ている。つ
まり、そのシェークスピアの作品をこよなく愛する人(読みこなせる人)は、
それだけ経営の基本である「人事を効率的に管理し、マンパワーを最大限に発
揮させる能力」を所有しているのだ。つまり、経営トップに必要なのは国語力
と読解力だ。読書による知識の蓄積は、いくら老いても衰えない。この読書に
よる知識の蓄積が、会社経営の極意なのだ。
 
 近年、著しいインターネットの発達により、世界中から手軽に多種多様の情
報が入手できるようになった。先日、大学で論文を書く機会があり私は、その
論文の材料をインターネットから探そうとした。知りたい単語を入れて検索す
ると、数千件もヒットした。その数千件の中から「本当に自分が知りたい情報
」を入手するのは非常に骨の折れる作業だった。情報化社会に必要なのは、「
本当に自分が知りたい情報」を的確に素早く入手できる情報処理能力だ。この
情報処理能力を身につける一番の方法は、私は読書だと思う。読書により蓄積
される国語力と読解力は、情報処理能力の基本ではないか。
 
 これは、ある仏文学者の話だ。彼は若い頃、京都大学の大学院で仏文学を専
攻していたが指導教授と喧嘩してしまい、学者の道を断念し、北陸の小さな車
体メーカーに就職した時期があった。彼は、そこで京都大学の大学院まで卒業
したエリートとして仰がれ、幹部待遇で採用されたそうだ。しかし、彼は仏文
学が専攻で経済、経営の知識は皆無に等しかった。この疑問に対し彼は、「現
場のたたき上げでは、どうしても視野が狭くなってしまう。自分は本ばかり読
んでいたが、事業や取引の拡張や人事厚生の改善という長期的な視野からの複
眼的思考が自在にできた」と言ったそうだ。
 
 確かに読書は苦痛だ。しかし「良薬、口に苦し」という言葉のように読書は
必ず自分の糧となる。二十一世紀は情報化社会だ。高い情報処理能力を持つ者
が勝つ社会だ。その情報処理能力は読書によって養われる。つまり、二十一世
紀は、たくさん本を読んだ者が生き残る社会なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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