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<marquee>ポイ捨て</marquee>
イチゴの広場
ドリカムうせ中2
 家族で買い物をするため車に乗っていたとき、母から酔わないようにと梅の
キャンディ-をもらった。私はそれを受け取り、袋を開けキャンディ-をなめ
た。その時手に持っていたキャンディ-の袋を、私は邪魔と思い窓を開け捨て
てしまった。袋は、風に乗って見えなくなってしまった。
 
 こういう私だから、「ポイ捨ては絶対にいけない」と言えないのだ。むしろ
少し仕方がないと思ってしまう。必要でない物が手の中にあり過ぎてしまい邪
魔ですぐ捨てる。現代、必要でない物イコ-ルすぐ捨てられる物、使い捨てが
増えている。ペットボトルが一つの代表と言っても良い。飲み終わって残る物
は、満足感と後何も使えない空のペットボトルだ。例えば、どこかへハイキン
グをする時、水筒を持っていけば、中身が減るだけでその本体は残る。ペット
ボトルならば飲み終わるとすぐ捨てられ、持ち物が減る。持物を持っている私
にとっては、とても便利なことである。
 
 しかし、このような考えを持っている人が私だけであれば、「ポイ捨て禁止」
と言う言葉は生まれてきていないだろう。それよりか、どこを歩いてもゴミは
見つからないだろう。(私が出したがゴミ以外)しかし、今の日本では悲しいこ
とにそのようなことはありえない。「私だけならあめの袋一つぐらい」と思って
いる人は自分だけではない。日本中の人が思ってしまったら一億二千六百十六
万枚のあめの袋が、やまずみになって東京の大きい交差点の真ん中にドンとお
かれてあったらとても迷惑だろう。
 
 このようなことが起こらないようにシンガポ-ルでは罰金を取る法律がある
。これによってシンガポ-ルは、誰がみても美しい国とおもわれる。また、昔
話で、桃太郎の話がある。いぬ、きじ、さるに、きび団子を与えて、一緒に鬼
をたいじする。しかし、物を取り上げたり、物を与えたりすることで人を動か
すなんて、幼稚園の子に聞かせるためにやっていることと同じように思える。
 
 一番大切なことは、人を自分の言いなりにさせるよりか、その人がどれだけ
、ポイ捨てと言う物が、私たちの町にとって悪いのか、一人一人考えていけば
なくなることではないのではないか。
 
 また買い物をしに家族で車に乗った。酔わないようにと母は、私にキャンデ
ィ-をくれた。私はそれを受け取り、袋を開けキャンディ-をなめた。その時
持っていたキャンディ-の袋は、邪魔だけれどポケットに入れた。交差点の真
ん中にドンとおかれているあめの袋、残り一億二千六百十五万九千九百九十九
枚。