青い空 |
アジサイ | の | 池 | の広場 |
小林 | / | ねき | 中1 |
「カランッカラカラ」こんな音と共に前を行く人の手の中から、オレンジ色 |
のアルミ製の筒が落ちた。ポイ捨てだ。私はその缶の横で立ち止まり、しばら |
く(といってもほんの数秒だが)見ていたが、それを拾うでもなく、その場を |
やり過ごしてしまった。それを見て見ぬふりをしなかったのは青い空だけだっ |
たのかもしれない。実際、ポイ捨てをしてる人を見て、「これ落としましたよ |
。」とか言う人は少ない。それだけ、ポイ捨てに関心が薄いのではないのだろ |
うか。では、ポイ捨てに関心を促すにはどうしたら良いのだろうか。 |
一つは、シンガポールのように罰金を設ける方法だ。例えば、缶をポイ捨て |
したら罰金三万円、などである。こうすれば、どう考えてもポイ捨てはしない |
だろう。なんせ、ゴミ箱に捨てていないというだけで三万円払わなくてはいけ |
ないのだから。この場合は必然的に道端のゴミは消えていくだろう。 |
もう一つは、ポイ捨てに関心を促すために、自覚させる方法である。ここで |
私がごみを捨てたら……と考えさせるのである。この方法は、とても大変であ |
る。なにせ、全ての人間に自覚させるような説得力のある者が必要となる。当 |
然、そんな人間はざらにいない。もしかしたら、世界中探しても、1人いるか |
いないかかもしれない。しかも、もしそんな人がいても、必ず、「ケッ、うる |
せーやろーだぜ」とか言う奴もいるだろう。それだけ難しいのである。 |
では、どちらの方法がいいか?と聞くと、たいていの人が後者の方というだろ |
う。この理由は二つある。 |
一つは、前者の方は無理強いしている傾向があるからである。罰金を払いた |
くないからしょうがなくポイ捨てを無くする、というのは、あまりにも人間と |
して情けない。それに、その罰金制度で一時そのポイ捨てが無くなったとして |
も、必ず、他の犯罪などの取締りが遅れる。ポイ捨てをしている集団がいたか |
ら、銀行強盗の警察要員がいなかったでは冗談にもならない。それに、自覚が |
無いから、他の小さな事も気にならなくなってしまう。そんな事にいちいち法 |
律などを作っていたら、何百万という規則が出来てしまう。そんな、一挙手一 |
投足を規則に縛られた人間に何の需要があるだろうか。 |
もう一つの理由は、自覚する事に注目してみよう。温故知新の信念にもとず |
いて、昔話「浦島太郎」の前半を思い出してみよう。浦島太郎(以下太郎)は |
子供達にいじめられている亀を助けた。このとき、太郎は亀が竜宮上に連れて |
いってくれるなんて夢にも思っていなかっただろう。つまりこのとき、太郎は |
自ら無益な(といっても太郎がこの時損益を考えていたとは思えないが)労働 |
をしたのである。では、なぜ亀を助けたのだろうか。それは「亀にも命がある |
から、いじめてはいけない」という自覚と、「このまま子供達にいじめをさせ |
てしまったら、将来が危ない」という自覚だろう。それに対して子供達は、あ |
まり自覚が無い。だから亀をいじめてしまったのだろう。こんなことからも、 |
自覚の大切さがわかる。 |
確かにポイ捨てにこれほどまで言う事もないといえば無い。しかし、こうい |
う小さい事を、「小さい事だからどうでもいい」という発想のもとに、自覚の |
「字」の字も見えないようでは、大きな事も「どうにかなる」と思って、自分 |
だけやり過ごしてしまう。これは、とてつもない問題である。こういうことを |
考えていると、「何をやってもいい」という発想になりかねないからである。 |
全てに見て見ぬふりをしない青い空を、このまま下界が見ることも出来ないほ |
どの汚い空にするわけにはいかないのである。 |