先進国の後に(感想) |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
石井 | / | つと | 社 |
先んずるものを後追いで学ぶことは、道すじがついているという点で、比較 |
的有利である。日本も今までは、米国をはじめとする西欧文明に学んでいれば |
国を発展させられたという、有利な立場にいた。しかし、先進国としての地位 |
を確立した現在の状況は、日本にも後追いの学習者としてではなく、先進する |
開拓者としての役割が求められている。そこで、中谷氏は現在の知識集積型の |
教育を批判し、想像力を育てるような、他者よりも先んじて伸びてゆく者を受 |
け入れるような教育体制が必要だとしている。 |
現在の日本の教育体制は色々と問題はあると思う。しかし、欧米先進国が優 |
れていて、日本が劣っているとは感じない。中谷氏の指摘しているとおり、平 |
等主義的な教育思想はそれなりに価値はあるのである。特に初等、中等教育機 |
関での平等主義は、ある意味で国の根幹を担っているともいえる。識字率の高 |
さ、理解力の高さなどは労働力の質の高さとなって国の経済を支えている。実 |
際に先進国の優である米国に行ってみても、一般人の質という点では、日本の |
方に軍配があがると感じる。 |
私は、自己主張やユニークさを売りにしている米国民の授業というものにも |
顔を出した経験がある。授業の流れを見ればこの先講師が説明するであろう事 |
項を、しつこく質問する者。なぜ、予習をして来なかったのかを演説し始める |
者。理解できないため授業を止める者。それぞれが勝手なことを主張して、先 |
生もその多様性が米国の力だと納得している。出来る者は自分勝手にいくらで |
も進んでゆくし、やらない者はとことんやらない世界である。国や地域の全体 |
的な視点で見るとこれもまた問題である。 |
しかし、社会が発展してゆくためには、先進的に、開拓的に活躍してゆく人 |
間が排出されなければならないことも事実である。中谷氏の指摘どおり、潜在 |
的に能力に秀でた生徒の芽をつぶすような教育は見直さねばなるまい。要は、 |
東大を頂点とする知識集約型のエリート養成構造を変革することが求められて |
いるのであろう。教育問題を語るとき真っ先に、受験戦争が悪であるとされる |
。しかし、米国の一流大学とされる学校に入るための競争は日本のそれよりも |
激しいものである。問題は、教育の中身であり、その頂点にある大学教育が生 |
徒の創造性、積極性を引き出し、求めるような機関にならねばなるまい。 |
実際に、こうした意図で入学試験に面接や小論文を課す傾向は増加している |
し、高校を飛び級して大学入学させる試みも始まっている。慶応大学の湘南キ |
ャンパスでは、米国式に討論や自主的な研究を重んじるカリキュラムが行われ |
、入学試験もユニークなものを課している。ちなみに、卒業生に関しては、今 |
の日本の企業風土と相容れず、摩擦も起こしがちであるときく。しかし、彼ら |
がこれからの日本に必要な人材であるならば、やがてはこの社会を担ってゆく |
のであろう。大学がその時代、社会の役割を認識して、変革するならば、その |
他の教育機関もそれに追随するはずである。こからの日本にはどんな人材が必 |
要なのか、まず大学教育がその要請に応えるべきであると考える。 |