| 最近のいじめの例では | 
| アジサイ | の | 道 | の広場 | 
| 冨田 | / | あよ | 高1 | 
| 「やはり一度は酔いつぶれてみなきゃいけませんねぇ。もちろん君たちはま | 
| だだめですよ。一度は酔いつぶれてみないと自分がどれだけ飲めるか分かりま | 
| せんからね。若いころはまだ無茶ができますから、その時に限度と言うものを | 
| 知っておかないと大人になってから急性アルコール中毒かなんかで倒れちゃう | 
| んですよ。私が初めて酔いつぶれたのは大学生の時で・・・。」この後、古典の授 | 
| 業は大いに脱線していった。 | 
| 教師からぬ発言と言えなくもないが、我々の社会は危険があるととりあえず | 
| 規則によって禁止しがちであるのも事実である。何か社会問題が起こったりす | 
| るとその度に細々と校則を作る学校があるが、その校則は多くの場合形式的な | 
| 物となっており実体のない場合も多い。しかし危険がある時なんでも規則で禁 | 
| 止する前に、管理された中で危険を経験することにより自ら危険を回避する方 | 
| 法を学ぶと言うことが大切であろう。 | 
| それには挑戦心を持ちましょうと言いたいところだが挑戦心など一朝一夕に | 
| 身につけられる物ではない。ではどうすればよいのか。あれこれ考える前に手 | 
| を動かすことが大切であろう。我々は行動する前についマニュアルに目を通す | 
| 。例えば旅行に行く前にはガイドブックを見て予想される危険を回避しようと | 
| する。そう考えるとマニュアルは弱いながら自分の行動範囲を規制する規則と | 
| なっている面もあるであろう。子供に刃物の使い方を教えたければ小刀を渡す | 
| ことだ。その小刀を使う中で切ったら痛いこと、安全な使い方を学んでいくこ | 
| とになる。使い方のマニュアルを見せて、「このように使ったら手を切る」な | 
| どと教えていればその子供は刃物を持つことすらしないであろう。とりあえず | 
| 手を動かしてみることは発明家エジソンの挑戦心、悪く言えば無鉄砲さにもつ | 
| ながっていることである。 | 
| しかし現在の社会の傾向はその逆を示している。私が疑問に思っているのは | 
| 内戦をすぐに武力で仲裁しようとする国連のあり方である。内戦を国連軍が仲 | 
| 裁したとしても内戦が完全に解決することはない。それはひとつの国が二つの | 
| 権力に分割しているために国家秩序を保つための警察機構がうまく機能しない | 
| からであるという。私は戦争が好きだと言っているのではもちろんない。しか | 
| しとりあえず形式的に規則によって禁止することが実際には何も生み出さない | 
| よい例であるように思われる。 | 
| 確かに規則によって禁止をした方がとりあえずのところ安全であることは間 | 
| 違いない。刃物を持ってはいけませんよといって小刀を取り上げれば刃物で怪 | 
| 我をすることはない。しかし長い目で見てそのような刃物の使い方を知らない | 
| 子供が大人になったらどうであろうか。自らの経験の中で自分の行動の範囲を | 
| 教訓として知っている人の方が多くのことをできるに違いない。またその教訓 | 
| は自分の生きた実感としても残るはずである。「一度は酔いつぶれてみなさい | 
| 。」よくよく考えてみれば、この教師の言葉にも一理あると思うのである。 | 
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