最近のいじめの例では |
イチゴ | の | 道 | の広場 |
FD3S | / | あしあ | 高1 |
現在のいじめの特徴は、管理されたいじめである世代間関係(先輩後輩関係 |
など)のなかでいじめが行われていないということである。これがなくなった |
ために子供の中で具体的な役割の決まった行動が不足し、その結果「いじめる |
人」、「いじめられる人」という役割が発生するようになってしまった。また |
、学校では競争をしてはいけないということになっているが、これはたんなる |
タテマエにすぎず、実際には受験競争という競争が起こってしまっている。こ |
のような欺瞞的な平等主義が横行している以上、いじめは減らないだろう。 |
いじめは現在の学校で最も深刻な問題の一つであり、もはや生徒を死に至ら |
しめるほどになっている。そこまでいかなくても、現在たくさんの生徒がいじ |
めに悩んでいるという。早急な解決が望まれるが、なかなかなくならない。そ |
の理由を一概いう事はできないが、大まかに言うといじめる側が悪いという事 |
と、学校側が悪いという二つがあげられる。 |
いじめる側が悪いというのはある意味ではどうしようもない。なぜなら大半 |
のいじめはいじめる側がそれを悪い事と思っていないからである。周りがいく |
らいっても本人が完全に改心しなければ解決した事にはならない。今直せるの |
はむしろ学校の方であると私は思う。学校側が直すべきであることはたくさん |
あるが、そのなかでも最も大切なことは、生徒を平均的に育てないということ |
である。もっと学校は個性を伸ばす教育をするべきだ。 |
そのひとつめの方法として、文章の通りもっと競争をさせるべきである。競 |
争をさせないことが生徒の間に波風を立たせない最良の策だと勘違いしている |
人がいる。しかし高校野球の勝ち負けで高校同士けんかをしたことがあったで |
あろうか。そんなことはなくお互いの高校で健闘をたたえあっている。様々な |
種目で競争をさせることは、逆に個性を発掘し伸ばす。なぜなら生徒は自分が |
得意な種目で力を発揮しようとする(つまり個性を発揮しようとする)からで |
ある。例えばスポーツにはポジションというものがあり、それの為に熾烈な争 |
いが起きることがあるがそれをきめることによって初めてその人の能力を発揮 |
させることができるという。 |
もう一つの方法として、学校は生徒の個性が突出してくることを否定しない |
ことである。学校は今ほかの生徒と異なった行動をする生徒を何とか他と同じ |
ようにしようとする。しかしこれはある意味で個性の発揮である。他と違った |
行動をする人間が後になって偉大な発明をしたとかいうことはよく聞く話であ |
る。 |
個性を伸ばすことの重要性が今問われている。確かに平均的に育てることは |
他と違うことによって起こるいじめを防いでいる。しかし逆にそこから外れた |
者はすぐにいじめの対象となる。他と異なった者を認めない生徒にも責任があ |
ると思うが、その感覚を植え付けてしまったのは学校である。だから今個性を |
伸ばすことが大切であると思う。 |