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スポーツの勝ち負け
アジサイの広場
あずさあすな中3
 つい先日、オリンピックで活躍したジョイナーさんが心臓発作で死んでしま
った。死んでしまった後も「ドーピング」だったとか、ニュースで色々と報道
されていた。もちろん驚異的な数字を残したために死んでしまって、騒がれて
しまうのは分からないでもないが、もし、ドーピングしていたとしても、死ん
だ後もあれこれ言われてしまってはかわいそうだ。けれど、そうさせてしまっ
たのは、勝ち負けにこだわりすぎている社会なのだ。
 
 もし、学校の授業科目の中に「体育」という教科が無かったとしたら、みん
な悲しむだろう。なぜならスポーツをすることでストレスを発散できるし、球
技だとしたらとても嫌いな人に見立てて思いっきり人に当てればスッキリする
。そして勝てれば、その日は楽しく過ごせるという利点がある。つまり、スポ
ーツには勝ち負けを決める事が大切なのだ。スポーツは勝たなくては意味が無
いし、やるからには勝ちたいと思う。けれど、それにハマりすぎてはならない
と思うのだ。ハマりすぎてしまえば、もう他の事が何も見えなくなってしまう
。何も見えなくなってしまうと、他人の事を思いやる気持ちがなくなり、その
結果、相手を気付けたりしてしまう。ならば、スポーツはスポーツと心の中で
割り切れればいいのではないか。つまり「酒は飲んでも、呑まれるな」の原理
で、スポーツは楽しんでも、ハマルなということなのだろう。
 
 40代男性のストレス解消法は、お酒、パチンコ、競馬と体を動かす事の無
い不健康なストレス解消法であるが、これは身近なところに気軽に行けるよう
なスポーツ施設がないか、あったとしてもそれが普及していないのかもしれな
い。逆に40代女性のストレス解消法は買い物、友達と電話、長電話と他人と
、コミュニケーションを取る機会が多く、スポーツをする必要が無いのかもし
れない。スポーツは他人とふれあうのに良いものであり、他人は他人、自分は
自分という現代の社会で大きな意味をもたらすのだろう。しかし、10代の男
女共にストレス解消法がカラオケだということは大問題である。
 
 「私たちの幸福がほかの人びとの不幸に支えられているのであってはならな
い」とあるが、自分たちが勝ったということの背景に、負けてくやしいという
人々がいることを忘れてはいけないのだと思う。それさえいつも頭の中にあれ
ば、スポーツにハマッてしまい、周りが見えなくなることはないと思う。