スポーツの勝ち負け |
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小原 | / | おき | 高3 |
スポーツの勝ち負け |
小原 正之 |
最近、スポーツを見ていると運動することの本来の目的を忘れてしまい、勝 |
負に勝つことだけにこだわっている傾向があるようにみられる。ドーピングを |
するなどというスポーツマンシップに欠けている行為がありがちなのである。 |
こうした、目的のためなら手段を選ばないというような勝敗に執着し過ぎると |
いうことに問題があると思う。 |
だから、そのためにもあくまで勝敗は自身の実力を試し、自分に対する向上 |
心を促進させるためのものに過ぎないということを自覚すべきである。例えば |
、私はつい最近学校でバトミントンのシングルの試合をしたのだが、一回だけ |
負けて他の試合はすべて勝った。勝ちの方が多かったのでそれなりに気分は良 |
かったのだが、一度だけでも負けたというのが悔しかった。実際、その負けた |
相手にはその時二度試合をして一度目は勝ったのだった。しかし、考えてみる |
ともしかして一度目に勝ったのはまぐれなのではないかと思ってしまい、まだ |
まだ自分の実力はたいしたものではないと実感したのだった。だから、スポー |
ツは勝敗で全て決定されるものではなくて、スポーツに対する勝敗は自身の実 |
力を知り、、その結果に対して自ら悔しさや喜びを味わうものであろう。 |
そして、スポーツをするものとしての最低限の誇りを持つ必要があると思う |
。例えば、親が子供になって欲しい職業の第二位としてスポーツ選手が挙げら |
れているのだが、これは、親は子に世間に誇りあるスポーツ選手としてよく見 |
られるからであろう。また、スポーツを行っている人自身も誇りに欠けた行動 |
をして勝負に勝っても満足感もないであろう。だから、少なくとも自分で納得 |
のいく自身の持てる選手になるべきであろう。 |
確かに、スポーツをするには闘争心や向上心を養うために勝敗を気にする必 |
要もある。しかし、企業同士の商業面における競争や受験戦争など、勝ち負け |
が関連していることが増えている現状からだと、さらに勝負にこだわる人が増 |
える事が予測される。だから、「理想に到達するための手段はまた、理想への |
到達をはばむ障害でもある。」というように、スポーツの勝ち負けはスポーツ |
を行う上での目的ではなく、向上心を促すための手段に過ぎないということを |
理解すべきであると思う。 |