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無機質な人間(再録)
アジサイの広場
ペー吉うき中2
 産業革命以来、機械文明の進歩は人類の幸福に繋がると思われていた。しか
し、最近になりそれだけではないと反省されるようになった。冷たいインテリ
アよりも、泥臭さのある素朴な物の中に、人間の本質が潜んでいるのではと見
直されてきたのだ。
 
 私は、人間の生活は、機能的でなければならないと思う。何かを取り出した
いときに、すぐにどこに何があるかが分かり、また、物の形が歪むこともない
 
 私の部屋は現在、かなり汚いが、少し前までは(そこそこ)整っていた。比べ
てみると、今の汚い環境よりも、しばらく前の部屋の方が落ち着き、使い勝手
もよかった。汚い部屋は、確かに「ああ、自分の部屋だ」という感じはするが
、物をなくしやすく、また、見ていて気持ちが悪いのだ。泥臭い暖かみのある
部屋よりも、無機質な冷たい部屋の方が、むしろ確実な安心感を与えてくれる
 
 人間的な泥臭さのある物というのもいいかもしれない。しかし、人間という
動物の「感性」が入り込んだ場合、どうしても便利な、理性的な配置ができな
いものだ。そうすると、必然的に使いづらくなっていく。
 
 「家とは、外から見るものではなく、中で住むためのものである」。いくら
外見か親しみを感じられたとしても、実際に使ってみると、全然機能的でなく
、とても使えたものではないという状況がある。大切なのは親近感ではなく、
便利さではないか。泥臭さではなく、機能美ではないか。